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私たちは人の期待に応えようとします。
相手に直接言われても、言われなくても、その要求に応えようとしてしまいます。
次から次へと押し寄せてくる要求に応えきれなくなった時、
自己嫌悪に陥って、自分には能力がないのだと思ってしまったりもします。
しかし、その自己嫌悪の源は何処から来ているのか。
じっくり考えてみる必要があると思います。
確かに誰かに頼まれたら、出来るだけ応えたいとは思います。
しかし、
もしかしたら、自分は要求したらやってくれる人と思われたいと思ってはいないか。
誰に対してもいい人と思って貰いたいのではないか。
自分は何でもやってあげられると、過信してはいないか。
など、自分の内なる動機で動いていない場合、
そこにはストレスやジレンマや自分に対する失望などが生まれます。
他者からの要求が自分からの要求だと思った時、
それらすべてを叶えようとするのが正しいのかどうか。
もっと言えば、それらの要求は自分が本当に叶えたいものなのかどうか。
それをやれば、自分が本当に満足でしあわせを感じることができるかどうか。
そう考えれば他者からの要求でも、叶えたい要求と、そうでもない要求が
わかってくるのではないかと思います。
そうなると、全てがすべて叶えなくとも、その中で本当に自分の成長に繋がり、
自分が満足して幸せになる要求が、本当の自分の要求だと思います。
そしてその要求が外からのものではなく、
己自身の中からうごめいた要求だと思います。
自分自身の要求であれば、ジレンマを感じる事も自己嫌悪に陥ることもなく、
ただやれば、自分を喜ばせる純粋な動機となる要求だと思います。
今まではそういう区別もなく、考えることもなく、ただ他者への奉仕としてしか
思っていなかったけれど、本当は自分自身への要求の確認であった可能性も
あると思います。
それは他者から言われたら「やらなければならない」という自分への束縛であったり、
「やることが正しいのだ」という思い込みであったり、
今まで気付いていなかった自分の内側の意識を垣間見る機会であるかも知れません。
その時に優先するのが「本当に自分がやりたかったこと」なのかどうかだと思います。
もしかして、本当にやりたいとは思っていなく、
やってあげたら良いだろうというものであれば、
その行動は一時しのぎ的な行動であり、
自分の本質的な喜びには結び付かないのだと思います。
他人への執着、己の本質的な喜び。
これらを深めていけば、自分の行動がすべて自分の喜びへと
繋がっていくと思います。
忘れてはならないのは「自分の純粋な動機」だと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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