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私たちはものを買ったり売ったりする時にお金を使います。
しかし、お金はあくまでも手段であって目的ではありません。
お金が出来るまでは、物々交換で生活をしていました。
それを便利な手段にしたのが「お金」です。
現代はお金・お金・お金で、お金が全てなようになっていますが、
これは錯覚を生みやすいです。
お金を持っていると偉い人なのか。
お金を持っていると人格者なのか。
詐欺や裏金でお金を沢山持っている人は、皆から尊敬される人格者なのか
と言えば、全く違います。
私たちはお金で商品を手に入れますが、自分自身を商品だとした場合、
誰か買ってくれる人がいるでしょうか?
例えば、今の国会議員さんたちは一般の人達よりお給料が高額です。
その人達が個々の商品だとすれば、買う人はどれくらいいるのでしょうか?
後援会の人達は買うかも知れませんが、それ以外の国民がどれだけ買うのでしょう。
もしもそれぞれの人が商品だとしたら、買う基準はその人がどれだけ信用のある人かで
判断すると思うのです。
そうなれば、裏金で繋がっている人達と、物価高の折に少しでも安くしようと頑張っている
スーパーの店主の人達を比較すれば、どちらの商品を買うかと聞かれれば、当然、
スーパーの店主の方を選ぶと思います。
その基準は「信用のある人かどうか」です。
信用のある人は、どれだけ人々に必要とされているか。
信用のある人の価値を、必要な人が高く買ってくれるのです。
その為には自分の価値=人間力を上げるしかないと思います。
今までは終身雇用のように、一度会社に入れば定年退職まで安泰な日々を
送っていたと思います。
しかしそれも崩れ、退職まで面倒を見てくれません。
自分が商品だったら、自分の価値を認めて買ってくれる人が何人いるでしょうか。
そう思えば、自分と言う人間の価値が恐ろしくなってきます。
もしかしたら、誰も買ってくれない消費期限の切れた、
廃棄処分行きの価値かも知れません。
今ふと、犬の殺処分が頭に浮かびました。
令和元年度で6頭に1頭が殺処分にあっています。
色々な理由で価値のない犬として分類され処分されたのです。
これが自分だったら・・・・。
生きる為に戦うのではなく、生きるために戦いを避けれる自分になる必要が
あると思いました。
自分という商品が「自分のため」だけでなく、人から必要とされる「社会のため」に
存在する自分である必要があると思います。
じゃ、また明日!