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小義とは、ちょっとした義のこと。
大義とは、人がふみ行うべき最高の道義。
特に国家・君主に対して尽くすべき道。
義とは、正しい道。道理にかなったこと。人道に従うこと。
最近ではビジネスにおいても、経営理念やミッションと言うような所に「義」、
則ち大義名分があります。
なぜなら、大義名分に共感した所に人が集まるからです。
就職活動の時にも、それぞれの会社の理念を調べ、
面接では「御社の理念に共感したからです」と、応えています。
「義」には大義と小義の2つの義があり、どちらも大切です。
しかし、大義を成すためには、小義を捨てなければならない時もあります。
なぜなら、目の前の小義に囚われていたら、それで時間が経ってしまい、
チャンスを失って、大義を成すことが出来ないかも知れないからです。
よって、「やる目的」や「やる理由」がはっきりしていれば、
その時の小義は、後に回すこともできるのです。
目的をどこに置くかが非常に大切になってきます。
三国史では劉備は非常に義理を大切にする人です。
その為、お世話になった人や恩のある人に対しては、
小さな義理でも大切にしようとしました。
しかし、諸葛孔明は劉備の描く「平和な国を作る」という、その大義の為には、
昔の恩義は無視して大義を優先すべきだと述べます。
劉備の中では、お世話になった人には恩を仇で返すことは出来ないと迷いますが、
結局は「平和な国を作る」という目的を達成するためには個々の恩義は無視して、
大義を優先すると決めたのです。
この時、劉備は個人の選択から公の選択に変わったのだと思います。
よって、大きな責任も覚悟できたのだと思います。
私たちが日常で起こりやすいのは、この大義(目的)が何なのか。を、
はっきりさせておかないと、いつの間にか目的と手段が入れ替わって
しまうのです。
「なぜ、それをやるのか」「何のためにそれをやるのか」という事を、
常に頭の中に入れておかないと、大義を見失ってしまう可能性があるのです。
劉備の中では小義を捨てたわけではないけれど、大義の為なら、
今は小義を隅に追いやって無視する必要があったのだと思います。
私たちの日常の中でも、規模は小さいけれど、このような選択を
無意識でしてしまっているかも知れませんね!
じゃ、また明日!