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人は赤ちゃんの時のような純粋な意識に戻ろうとする時、
植え付けられた固定観念や、自分の思い込みをクリヤにする必要があると思います。
しかし、それにはそれなりの時間が掛かると思います。
私は自分は小さい時から可愛がられて愛されて育った記憶があります。
しかし自分と向き合った時に、1つだけ小さい頃の場面が時々出てきます。
それは2~3歳の頃の記憶の場面で、たった1回だけ叱られた時の事です。
多分言う事を聞かなかった私を父がお仕置きで倉庫に入れようとして、
私が泣き叫んでいる場面です。
それが唯一の自分の中のインナーチャイルドだと思います。
今、ようやくその入り口に辿りついたところです。
頑固な私はなかなか自分の本心を心の奥底に隠して、
自分にさえ見せたくなかったのだと思います。
映画「すずめの戸締り」ではないけれど、自分が過去の自分と和解しない限り、
他人とのしあわせは望めないという事です。
ここで言う和解とは、自分の中でそれを清算し、内なる平和を取り戻すことです。
それが出来て初めて、他人とのしあわせが築けるのだと思います。
私は今まで、たった1つの小さい時の記憶から、
「どのような悪い事をしたのだろう」「何を怒られていたのだろう」と、
あまり記憶が定かではない時の出来事の理由に引っ掛かっていました。
しかし、いくら思い出そうとしても思い出せるはずもなく、自分との和解は、
「これからは、いい子にしないと親から愛されない」という、
思い込みだったようです。
親は非常に可愛がってくれていました。
それをこのたった1回の自分の思い込みで、それ以降、ずーっと
「いい子」にならなければ、と思いながら生きてきたのだと思います。
だから完璧を求め、これ位では認めてもらえないだろうと
「いい子」であり続けようとしていたのだと思います。
本当は「いい子」でなくても親は私を愛してくれていたのです。
自分の中ですでに存在する「安らぎ」や「しあわせ」や「喜び」と引き換えに、
親の言うことを聞く「いい子」であろうとしていたのかも知れません。
結局私の引っ掛かりは、自分の誤った思い込みから引き起こされていた
可能性があると思います。
瞑想は無の状態で自分との対話だと思います。
井戸を掘るように、自分の心の奥深くまで掘り下げて、
自分の湧き水を掘り当てるようなものだと思います。
そして、赤ちゃんの時のような純粋な心まで掘り下げることが出来たなら、
澄み切った純粋な水が地表へと溢れ出てくるまで、
ゆっくりじっくり自分と和解しながら、自分自身を深く見つめ続けることが、
自分を知ることになるのだと思います。
自分と和解出来た時に、初めて他者の痛みがわかり、
他者をより深く理解することができるのだと思います。
無条件の愛には責任感が伴い、その人の強さも弱さも、
ありのままに受け入れることができます。
こだわりのない愛は、お互いを安心させ関係を守ってくれるようです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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