タグ:
最近は少し価値観が違って来たなと思うことがあります。
昔は普段でも着物を着ていたので、私たちの親の世代は着物を持っています。
そして娘が結婚をする時には、何枚か着物を作って持って行かせたものです。
しかし、時代が変わり洋服が当たり前になって来ると、
着物を着る機会すらありません。
年配の方は着る機会の無かった着物を売りに出すか、洋服にリニューアルしています。
以前は着物は高級品として、それなりのお値段で買ってくれていました。
しかし、今は全く価値は無く、かなりの枚数でも500円とかの場合もありました。
売る側は親の形見であったり、高級品なので、そういう値段では売るのを躊躇します。
断捨離や終活などでクローゼットやタンスを片付けようと思った場合、
何とか処理方法を考えなければなりません。
少し前までは、段ボール箱1つがいくらという感じでまだお金を貰えていましたが、
今はその逆です。
洋服を引き取って貰いたかったら、そこの会社の会員になってお金を支払い、
それから自分の洋服を段ボールで送るのです。
洋服というものを介して、以前はお金を頂いていたものが、
お金を支払って引き取ってもらう。
これは逆転現象です。
例えば、海を綺麗にしたり町を綺麗にしたりする場合、以前なら
ゴミ拾いの労働として見ていました。
よってそこにはアルバイト料が発生していました。
しかし、それをイベントとしてやった場合、
参加費を徴収して、ゲーム感覚で誰が一番多くゴミを集めたかを競うのです。
ゴミ拾いをイヤイヤやるのか、ゲーム感覚で楽しんで競い合うのか。
そう思えば、ある人にとってはやりたくない嫌な事でも、別の人にとっては、
お金を払ってまでもやりたいことになるのです。
その違いは、そこに自分としての価値を見出すかどうか。
自分の価値観に合致しているかどうか。
もしも合致していれば「お金を払ってでも、やりたい」という事になるのです。
自分が興味を持っていたり、何かの意欲をかき立てられたりすると、
人は投資の方に回るようです。
そしてそこに、経験や体験など、同じような事でも意味付けされて納得すれば、
「お金を払ってでもやりたい」になって来るのです。
イベントごとなど特に普段できない経験ができるので、お金は要らないから
やらせてほしいという事と同じだと思います。
価値や意義はそれぞれの人の立場、状況によって違って来ると思います。
他の人にはあまり価値が無いようなことでも、自分にとっては価値がある事なら
それを選ぶことになると思います。
最近、近くの商店街で、古着を引き取ってくれるお店が出来ました。
今まで着ていても、洗濯をして持って行けば引き取ってくれるのです。
あまり着ていない洋服などは、そのお店で安く売っています。
売れそうにないものは、発展途上国に寄付をします。
それでも寄付出来ないようなものは、リサイクルとして利用されます。
結局無駄な事は何もないのです。
結構流行っているのは、自分が愛用していた服で、まだまだ着れそうなものを
ゴミに出したくはないのです。
他に着てくれる人がいれば、着て欲しいのです。
その心理が当たったのか、連日沢山の人が入っています。
今までは価値と引き換えにお金を貰うばかりの方向でしたが、これからは、
お金を払ってでもやりたいこと、やれる機会が増えて行くような気がします。
発想を変えれば楽しくやれることを見つけて行きたいと思います。
じゃ、また明日!