タグ:
以前、少し気付いたことがありました。
もしかしたら私は何かをやっていないと、自分には価値がないと、
思い込んでいるのではないかと。
親の介護にしても、その時は一心不乱にやっていても、
全く精神的に疲れたとは思わなかったのです。
1つは、いつも病院の人や周りの人に恵まれていて、ストレスを感じることなく
自分のやりたいようになっていたからです。
幼稚園から退職まで1日も休まなかったのも、ただの真面目と言うだけではなく、
自分の中で「絶えず何かをやていないと、自分には価値がない」と思っていたから
かも知れません。
親の世話をする自分には価値がある。
何もしない自分には価値がない。
と言ったマイルールを自分の中で創り出し、自分から何事も抱え込んで行った
のかも知れません。
幼稚園からの皆勤賞も「休んではいけない」「休むと自分には価値がない」と
思っていたかもしれないし、休むと自分がいたたまれなくなり、
休む自分を許せなかったのです。
どういう時に休めば良いのかわからなかったのです。
本当は、何もしなくても生きているだけで価値があるのにね!
よって、自分の心の中に夢や志があれば、次の挑戦の為にカラダを休め、
エネルギーを貯える必要があると思います。
いつもいつも「何かしなければ」とか「現状を変えて行かなければ」とか、
先の事ばかり考えて生きるのではなく、今自分がやっている事に対して
もう少し余裕を持ってやりながら、体力を蓄えて行くのも必要かも知れません。
学生の頃、遊んでばかりいるような人が100点を採ったり、
毎日真面目に机に向かって勉強している人が70点しか採れなかったり。
もちろん私は後者ですが、結局はそのパターンが社会人になってからも
続いていたような気がします。
それはきっと、100点を採らなければ認められない。
という、マイルールで自分を縛っていた時と同じです。
しゃかりきになってやっても、思うような結果が出ない時もあります。
しかし、結果が出なくても、何かをやり遂げていなかったとしても、
そこまでやっていた自分を認めることは必要だと思います。
世間では「結果を出せ」とか「結果が出なければ認められない」と
いったようなことが言われますが、結果が伴わなくても大丈夫で、
自分で自分を責める必要などないのです。
遊んでいながら100点を取っていた人のように、お気楽に楽しんで状況を待つことが
時には必要になって来ると思います。
自分に余裕がなくても、少しはお気楽な気持ちでエネルギーを充電することも
必要かなと思います。
お気楽な方が上手くいく場合もあるという事です。
じゃ、また明日!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

投稿者

jibunoikiru@gmail.com

関連投稿

タグ:

2280枚目■ 行動と言葉を一致させる

「言行一致」とよく言います。口で言っている事...

すべて読む
タグ:

2274枚目■ 「無理」「ならどうする」

何かをやろうとする時、或いはやりたいと思う時...

すべて読む
タグ:

2235枚目■ 何を捨て何を残すか

私は昔から「マイナスの美」の美しさが好きでし...

すべて読む
タグ:

2233枚目■ 自分が自分をどう思うか 

私たちは人目を気にして生きている場合がありま...

すべて読む
タグ:

2232枚目■ 目的の為なら共にやれる

今回のNHK「新プロジェクトX」は、世界遺産...

すべて読む
タグ:

2231枚目■ 共に目標を達成する能力 

人が他人と協力し共同の目標を達成する能力は、...

すべて読む