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人生には伴走者と言われる人は二人いると思います。
一人は自分自身。
自分が自分を励ましたり、引っ張り上げたり、叱咤激励して
自分の走りたい道を24時間一緒に走ってくれるのです。
時には反発したい時もあるでしょう。
時には離れたい時もあるでしょう。
しかし、残念ながら離れられないのが、自分と言う伴走者です。
人生は理不尽の連続かも知れません。
そんな理不尽に囚われそうになった時、伴走者の自分は言います。
「そんな理不尽に囚われている暇など無い」と。
だから、自分を正しい方向へと引っ張って行ってくれるのです。
自分と言う伴走者との信頼関係こそが、自分の人生を前に進めてくれるのです。
もう一人の伴走者は、いつも寄り添って生きる力を与えてくれる人です。
名誉も財産も生きる力さえも無くなった時、
それでも、支えて一緒に歩こうとしてくれる人です。
それは家族かも知れないし、パートナーかも知れないし、仲間かも知れないし。
もしかしたら愛ある人かも知れないし。
いつでもどこでも両手を広げて待っていてくれる人。
そういう人が人生の伴走者だと思います。
人は強そうで弱いし、弱そうで強いものです。
人から見て「あの人はどうだ、こうだ」と言うのは、
眼に見える現象で偏った判断をしたに過ぎないものです。
本当にその人のことをいうなら、その人と話をして付き合って、
その人物を理解した時に初めて言えるのだと思います。
しかし可笑しなもので、そこまでその人物を知った時には、すでに
「あの人はどうだ、こうだ」とは言えなくなってしまっているのです。
よって、人のことをとやかく言う人や、その尻馬に乗って一緒に言っている人は、
自分で自分の首を絞めて行くようなものです。
人生の伴走者には、自分も他人も含めて無償の愛があると思います。
何があっても離れない、なにが起ころうとも手放さない。
だから、しあわせな人生のゴールに辿りつけるのだと思います。
誰しも自分という伴走者はいます。
しかし、自分以外の伴走者がいるかどうかということは、
自分の人生を大きく左右することだと思います。
それ故に、人々がメンターや、コーチや、師匠と言われる人を
探すのだと思います。
しかしながら、それらの肩書を持った人以外でも、
本当の伴走者は身近にいる可能性があると思います。
自分が近付きたいと思う人は、その伴走者に成り得る人かも知れません。
自分という人間を受け入れ、認め、許して、無償の愛で包んでくれる人。
そういう人を1人でも見つけることが出来たなら、
悔いの無いしあわせな人生を全うできるし、
自分もまた、誰かの伴走者に成れると思います。
じゃ、また明日!