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三国志の中で劉備の言葉として、
「民が私を見捨てても 私は民を見捨てぬ」というセリフがありました。
義に厚い劉備は民に慕われており、新野城を放棄して撤退する時に、
民が劉備について行きたいと言ったのです。
民を連れての撤退は時間がかかり、すぐに追撃にあって不利になります。
それでも民を置いて撤退は出来ないと連れて行くのです。
やはり、追いつかれそうになった時、劉備はこの言葉を発したのでした。
「民が私を見捨てても 私は民を見捨てぬ」と。
現代社会に於いて、トップが部下を見捨てない所はどれほどあるのでしょうか。
むしろ企業の社長が「知らなかった」「部下が勝手にやったことだ」と、
見捨てるようなニュースは多々あります。
また、政治の世界でも、後手後手に回る対策や色々な決定は、
現実を知らないお方がされている事で、民は見捨てられたような感じがします。
そこには民は存在していなく、民を見ずして誰を見ているのかとさえ思います。
「見捨てない」という事は「寄り添う」ことに通じると思います。
相手や民がどんな状況になったとしても、最後まで一緒にこの状況を乗り越えましょう!
という事だと思うし「決して忘れない」という事でもあると思います。
例えば、最近は不登校が多く、家庭内でも気を抜くことができません。
そんな時、親御さんは親を辞めたい気持ちになる時もあると思います。
しかし、本気で子どもと向き合えば、必ず変化が起こると思います。
上手くいかない時は、親の価値観を子どもに押し付けようとしている
時かも知れません。
そんな時こそ、
「あなたが私を見捨てても 私はあなたを見捨てない」
という寄り添う心が、見捨てないという事になるのではないでしょうか。
瞑想も同じだと思います。
「自分が瞑想を手放しても 瞑想はあなたを手放さない」
という事で、
何事も自分がどうするかという事でしか、現実は起こらないと思います。
こういう人徳のある人に、少しでも近づけたらと思います。
じゃ、また明日!