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人は誰しも、自分が必要とされていると思うから、生きがいを感じ
生きる勇気が湧いて来るのだと思います。
キリスト教の牧師である西田好子さんは、50歳の時に教師を辞めて
牧師になりました。
教師の時は一人1人を見て、朝から晩まで教師一色の毎日でした。
子ども達を見ていると、勉強ができなくても一人1人に役割があると感じ、
それを活かしていたそうです。
いつも誰かが誰かの面倒を見ている。
教室でもいつも人には役割があると言い続けていたそうです。
結婚して子供が生まれた時、教師を辞めざるを得なくなる状況になり
一度は学校を去りました。
離婚もしましたが教師をやりたくて戻りました。
しかし、今度は講師という席しか空いておらず、3カ月ぐらいで担任が戻ってくると、
また、別の学校に行かなくてはなりませんでした。
自分が担任をしておれば、じっくり生徒と向き合ってみんなが助け合うクラスに
持って行けたのですが、3カ月だと折角皆が仲良くなりかけた時に
離れなくてはならないし、クラスがまとまりかけていても担任の方針で
またもやクラスの雰囲気が戻ってしまう。
その繰り返しが嫌で沈んでいた時、路上生活者と出逢いました。
目の前の人を助けたい。
自分を必要としてくれているから、路上生活者を助けたい。
教師の悩みは同じ所をグルグル回るだけで前には進みませんでした。
その状況では路上生活者の支援活動は出来ないと思い、
教師を辞めて新しい場所に移ることにしました。
お給料のお金だけ貰っても、自分1人だけで、手助けをする人が誰もいなければ、
自分を必要としてくれる人はいません。
ならば、生きている意味はあるのか? 何の楽しみがあるのか? と思い、
牧師になることにしました。
牧師になって、誰からも相手にされない小さき者の支援をしたい。
人が何かを乗り越える時は、誰かに助けてもらうしかないのです。
しかし、決して1人ではないのです。
人は誰しも、認められたい、必要とされたい、誰かの役に立ちたいと願っています。
「ありがとう」と言って貰えるだけで、心の栄養が満たされます。
小さい時から周りの人達に認められたり、親から愛情を受け取ったりしながら
心の栄養を補充しているのです。
それは子どものみならず、大人になっても職場や社会の中で悩んだりする時は、
この心の栄養を使っているのです。
誰かに必要とされていることが、自分を支え、
何かあっても明日も頑張ろうと思えるのです。
人は誰しも、誰かから必要とされることが、
一番必要な事なのかも知れませんね。
じゃ、また明日!