タグ:
「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。
フランス語の「貴族」と「義務を負わせる」と言う言葉の複合語のようです。
上流階級に生まれたものは「社会に対する還元の義務がある」という意味が
由来のようです。
ドラッガーの著書では「真摯さ」という表現で用いられているようです。
「真摯さ」と言うのは、自分の意志を伝えるためには重要になってきます。
「真摯さ」とは「人として正しい意思決定と行動を当事者意識と覚悟を持って行う」
という事の表れのようです。
そして同時に「共に働く人たちへの模範となる」ことを可能にする効果があるようです。
「ノブレス・オブリージュ」は、一般的に「財産、権力、社会的地位を持つものは
社会的義務が伴う」という意味があるようです。
よって、高貴な身分に生まれついた人間は、人々に奉仕し、献身する義務がある、と。
しかし現代においてはその解釈がそれぞれ違ってきているようで、
「社会のためなら我が身を投げ出すこともいとわない」
「リーダーは常に世のため人のためにあれ」
「位高ければ徳高きを要す」
「リーダーには偽りがあってはいけない、私心があってはいけない、
わがままであってはいけない、奢りの心があってはいけない」
などと、それぞれの解釈は違ってきます。
高貴な身分に生まれついた人間には、人々に奉仕し、献身する義務がある。
と言われていましたが、その意味が進化して行っているようです。
しかし、現代では高貴な人が自覚する義務ではなく、
「義務を自覚する人の高貴さ」と考える方もおられ、
その義務は「使命」と同じ響きを持つようになるとか。
現在のリーダー像を考えた時、やはり、位による義務ではなく、
当たり前の純粋な気持ちで実行する事が、
高貴さに繋がっていくのではないかと思います。
また、リーダー自身の 人間性=人間力 も求められるように
なってきていると思います。
よって「高貴な人が自覚する義務」ではなく、
「義務を自覚する人の高貴さ」が求められるのだと思います。
マネージメントをするには「お金持ちだから」と言うのではなく、
マネージャーとしての「真摯さ」が求められるのだと思います。
時代により価値観は変化します。
現代では「真摯さ」「人間力」を持ち得た人が、
義務を自覚することが出来るのではないでしょうか。
時代の変化により、
「高貴は人が自覚する義務」ではなく、
「義務を自覚する人の高貴さ」の方が、
しっくりくると思います。
じゃ、また明日!