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「少年よ大志を抱け」と言ったのは、1886年生まれのアメリカ人である
クラーク博士が、札幌農学校の教頭を辞して日本を去る時に、教え子たちに
送った言葉です。
この頃からクラーク博士は、日本の少年があまり志を抱かないという事を
感じていたのでしょうか。
一部の人を除いては、今の若者は「夢」も「希望」も抱かないようです。
抱かないというよりは抱けないのだと思います。
なぜなら、夢や希望を持てるような出来事や、憧れるような大人がいない
から、自分の中で未来を描くことが出来ないのだと思います。
本当は本を読んだり感動するような映画を見たり、考えを持っている人と
話すことで、夢や希望を持って自分の未来を描くことが出来るとは思うのですが。
働いてお金を貰えて、それで贅沢しなければ生活できるし、
あとは自分の好きなように時間を使えばよい。と、
自分の可能性を知らないし、自分の可能性を伸ばす事が出来るという事が
わからないのだと思います。
辞書では、
「夢」 は、将来実現させたいと思っていること。
「希望」は、将来に対する期待。また、明るい見通し。
「志」 は、心に決めた目標・目的。信念。
とありました。
ゴールに匹敵する「志」がまだ見つからなくても、せめて「希望」という
明るい未来を描くことが出来ればと思います。
「夢」や「希望」は自分自身の事です。
先ず自分自身が自立し、自分の中心軸が出来れば、安定して「夢」や「希望」を
持つことが出来ると思います。
そして、その「夢」や「希望」を実現化する中で、
自分自身の「個人」のものから公のものになって
「志」になって行くのだと思います。
それは自分の私利私欲を満たすものではなく、
公利公欲で社会の中の一員になる事だと思います。
よって、おいそれと見つけることが出来ないのだと思います。
それは自分の外側から与えられるものではなく、自分の内側から
突き上げてくるものです。
その突きあがってくるエネルギーが行動へと繋がるのだと思います。
自分の心の底から突きあがってくるそのエネルギーが人々の幸せに繋がるなら
これ以上、自分にとってしあわせな事はないと思います。
だから色々試行錯誤して、やり直して選び直して、やっと自分が納得できる
自分の志に出会うのだと思います。
無理に進むと、引き返す道のりも遠くなります。
その時は自分を信じて、自分の感性で進むなり引き返すなりをすればよいと
思います。
願わくば、「夢」よりも「希望」よりも「志」に到達できればと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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