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「孤独」と言うと何だか寂しいような、侘しいようなイメージで
捉えられがちですが、そうでもなさそうです。
「ひとりでいることが孤独」だと思いがちですが、そうではなく、
どういう状態かによると思います。
私の知り合いの年配の方は息子夫婦と住んではいるけれど、
離れの部屋でひとりです。
かなりの年齢なのに食事も自分で作り、息子夫婦とは食べさせてもらえません。
孫たちはそれぞれ出て行ったので、家族としての人数は3人です。
人に聞かれたら家族と一緒に住んでいる事になりますが、実際は「孤独」です。
同じ屋根の下に家族がいるのに、挨拶を交わす事すらありません。
反対に私のように家族が居なくても、好きな事をして24時間使うので、
今の所、孤独を感じたことはありません。
ジムやzoomやで毎日誰かと喋っているので、時には孤独になりたい位です。
高齢者のデータでは、ひとり暮らしよりも、家族と暮らしている方が
自殺率が高いとか。
二世帯住宅も入り口は別だけれど、ドア1つで行き来できるはずなのに、
お互い、出掛けているのかどうかさえも分からない状態です。
「孤独」というのは、本人が疎外感を覚えるかどうかだと思います。
親を見送ってからはずっとひとりの私など、孤独の連続ですが、
自分がそう感じないのは「本音を言える相手がいる」からだと思います。
嬉しい時も意見が違う時も、気を遣わずに本音で話し合える。
それがひとりでも家族が居ても、孤独かどうかの分かれ目だと思います。
人は心を通い合わせたり、心の拠り所となる人がいないなど、
気持ちを分かち合える人がいないと孤独に陥りやすいと言われます。
それは「自分は理解されていない」「自分は大切に思われていない」
「自分は必要とされていない」「自分は愛されていない」と言ったように、
自分と相手との間に「心の繋がりがない」と、人は孤独を感じます。
気持ちの繋がりは、「生きる希望」でもあるのです。
よって、夫婦であっても「家庭内別居」と言われて久しいですが、
年配になってくると「家庭内孤独」が襲ってきます。
家族と言う形であろうと、何人で住んでいようと、ひとりで住んでいようと、
形や人数には関係なく、その人の心の中に本音で話せる人や、心の拠り所となる人が
いるかいないかで、孤独かどうかになると思います。
老夫婦で奥さんが無くなると、ご主人が後を追うように直ぐ亡くなる場合がありますが、
これも心の拠り所を失った孤独も関係していると思います。
片やご主人が亡くなって奥さんが残った場合、女性は外交的でお喋りが好きなので、
反って活き活きとしてくる場合があります。
女性は本音で話し合ったり、食事会をしたりと、決して1人ではないのです。
或いはお節介が「誰かの役に立っている」と思えることで、孤独ではなくなるのです。
よって、ひとり暮らしでも孤独ではない生き方で人生を終わりたいものです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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