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「憎むべきは戦争であり、それを指揮した者たちであり、目の前の彼らではない」
この言葉は三国志の時代にもヒトラーの時代にも、現在もまだ続いている
ウクライナとロシアの戦争にも共通する事だと思います。
一部の人を覗いては、誰一人として戦争なんかしたくありません。
たった一度の自分の人生に於いて、その人がどういう人かもわからずに、
なぜ殺さなければならないのか。
反対になぜ殺されなければならないのか。
戦場においては感情を入れれば、自己の葛藤に苦しみ戦争になりません。
自分の感情を押し殺してまで、人を殺さなければならない状態です。
どうして自分の人生を、
軍や国のトップに命令されて狂わされなければならないのか。
自分の人生なのに、自分のやりたくない事を強制的にやらされて、
罪の意識で終わるのは勿体ないです。
それは自分の人生ではありません。
国のトップは国民が平和に暮らせるように司るのが仕事のはずです。
他国と戦って奪い取ったり、自分の占領下で支配するものではないはずです。
どうして、奪う事より分け与えることが出来ないのでしょうか。
日本人が一番得意な「助け合い」「お互いさま」の気持ちで付き合えば、
もっと有効な知恵が出てくると思います。
名も知らぬ目の前の人を憎むのではなく、憎むべきは戦争であり、
それを指揮した目の前にいない、その奥で操っている者たちです。
目の前の彼らでは決してないのです。
現在なら感情をぶつけるのは、自分に命令する上司です。
その上司もまたその上の上司にです。
しかし、それらの感情を抑え込み、反発出来ない状態の中で
やりたくない仕事に時間や人生を奪われるのです。
これほどムダな人生は無いと思います。
本来は、自分の本心で自分の人生を生き、
やりたい仕事、やりたい事に時間とお金を使い、
イライラ、腹立たしい感情ではなく、
優しい穏やかな感情で自分の人生を終えることが出来るなら、
これほど幸せな事はないと思います。
目の前の人や現象を見るのではなく、
その奥に潜んで操っている人や仕組みを憎むべきです。
今現在でも世界各地に当時の地雷が埋まっており、
撤去作業中に亡くなる人もいます。
どうして後の世代の人が、前の世代の人の跡片付けをして、
命を奪われなければならないのか。
人は残酷にもなれるし、赦し合う事もできる。
地球そのものの自然現象が可笑しくなり始めているのに、
そして世界中の人が地球を守り、人類を守るために
手を打たなければならない時なのに、
愚かな戦争をしている暇はないはずです。
誰を臆することなく、自分の本心で行動する。
やりたくもない事に時間を費やすより、やりたい事に時間を使う。
感情的にならずに冷静沈着に受け止める。
出来事や目の前の事に影響されずに、その奥にあるものを考える。
それを見極めることが出来る自分でありたいです。
じゃ、また明日!