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ブッダは、
「悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ」
という言葉を残しているようです。
ブッダの言われている「善い人」とは、「気の合う人」と言う意味ではなく、
耳が痛くても、正しい意見をしっかり言ってくれる人のことです。
人は誰しも自分は正しいと思っています。
しかし、自分自身の意見が必ずしも正しいとは限りません。
いつの間にか、正しさからずれて行っている場合もあります。
そんな時、多少うるさく感じても、自分の本質をよく知っている人こそが、
気付きを与えてくれるのです。
人は物事を自分の都合の良いように解釈し、捻じ曲げて捉えてしまう
癖があります。
なぜなら、無意識のうちに「自分の基準=世間の基準」だと勘違いしてしまいます。
「善悪」の判断も自分の基準で決めてしまいます。
「自分は正しい」と思っていても、それは自分の判断であって、
そんな時こそ客観的に自分を眺める必要があるのです。
最初は良い事を言っていても、いつの間にかその人の中に
私利私欲が入り込んでくる場合もあります。
そんな時、うるさいと思っても自分の本質を良く知っている人が、
違う角度から言ってくれることが気付きを与えてくれるのです。
そういう人が尊い人だと思います。
反対に卑しい人とは、ブッダが托鉢をしている時に、
「卑しい奴め、聖なる火が汚れるからこれ以上近付くな」と横柄な態度を取る人です。
ブッダの質素な身なりを見て、外見だけで見下す人です。
現在でも、上辺だけ、外見だけを見て誤った判断をする人がいます。
そういう人は、どれくらい相手の人の背景を知って判断しているのかと思います。
自分の価値観で人の善悪を決めたり、謝った見解を押し通したり、時には、
恨みを抱いたり、欺いたり。
尊い人と言うのは、自分の事ではなく、社会の事、日本の事、世界の事を
良くしたいという欲求を持って動いている人だと思います。
そして教えを伝える時は、相手が受け取れるタイミングを見極めている人です。
なぜなら、正しい事を伝えようとしても、相手に受け取る力がまだないと、
素直に伝わらないからです。
伝わらなければ、ただのお説教で終わってしまいます。
最近もどなたかが書かれていましたが、
「弟子に準備が出来たとき、師が現れる」
まさにこのことだと思います。
尊い人と言うのは、それらを見据えて大きな愛で導いてくれる人だと思います。
どうせなら、そういう人と交わっていたいものです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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