タグ:
私は昔から人と合わせるのが苦手で、むしろ1人で居たい方でした。
確かに小さい頃は周りに同じくらいの子どもはいなく、姉とは5歳違いなので
小学1年生と6年生。中学1年生と高校3年生。
やっと追いついたのが20歳を過ぎてからで、そこからは私が主導権を握って
しまいました。
よって、幼稚園に行くまでに集団で遊ぶ機会がなかったので、小学校のころには
1人でもあまり寂しさを感じていませんでした。
むしろ年齢が上がれば上がるほど周りの人と話が合わなくて、グループに入ったり、
雑談が苦手になりました。
その頃は自分は孤独が好きなんだと思っていましたが、今考えると、
その人にあまり興味が持てなかったり、関わりたいと思わなかったのだと思います。
社会に出てからも、仕事に対する考え方が違ったり、価値観がずれていたり
していました。
よって、仕事は仕事、プライベートはプライベートとして付き合っていました。
それはどういう事だったのかと今考えてみば、仕事に対しても何に対しても、
「もっと深い話をしたい」という事だったのだと思います。
周りの人が浅瀬でぴちぴち飛び跳ねている魚だとすれば、私は深海魚のような
もので、1人深い所でじっとしていました。
どちらが良いとか悪いとかではなく、自分が心地よい所は何処かと言うだけの
ことだと思います。
よって、同年代よりはかなり年上の方とお話をしていたと思います。
沢山の友達よりも深く話せる1人の友達の方が良かったのです。
いつも周りに何人もの人に取り囲まれていないと寂しいと思う人とは
反対だったと思います。
深く話せる相手が1人いれば、それで満足なのです。
結局はそれは「心が通じる感覚で相手と話したい」という感じだと思います。
自分の事を話しても理解して貰えなければ、どうしても相手に合わせた受け答えに
なってしまいます。
よって自分が話すよりも、聞き役に回っていたのだと思います。
年を重ねれば重ねるほど、自分もそういう事だったのだなとわかってきたので、
人と合わすことも苦にならないし、自分の事をさらけ出すようになりました。
自分をさらけ出して、それでも受け入れてくれる人がいれば、
「思った事を何でも話してもよい人なのだ」と思い、本音を語れるようになりました。
そうなると、本音が1つの「ふるい」の役目のようになり、遠のく人はどんどん
遠のいて貰って、それでもお相手をしてくれる人がいれば、その人とは本音で
お話できるのです。
心が通じる相手でないと、話をしていても面白くありません。
本音で話し、時には相手の嫌な事も話し、それでも深い話が出来るなら、
これ以上幸せな事はないと思います。
人生に於いて、本音で話せる相手を見つけるというのは大切だと思います。
見つけるというより、そういう人と出逢うのがご縁だと思います。
じゃ、また明日!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

投稿者

jibunoikiru@gmail.com

関連投稿

タグ:

2280枚目■ 行動と言葉を一致させる

「言行一致」とよく言います。口で言っている事...

すべて読む
タグ:

2274枚目■ 「無理」「ならどうする」

何かをやろうとする時、或いはやりたいと思う時...

すべて読む
タグ:

2235枚目■ 何を捨て何を残すか

私は昔から「マイナスの美」の美しさが好きでし...

すべて読む
タグ:

2233枚目■ 自分が自分をどう思うか 

私たちは人目を気にして生きている場合がありま...

すべて読む
タグ:

2232枚目■ 目的の為なら共にやれる

今回のNHK「新プロジェクトX」は、世界遺産...

すべて読む
タグ:

2231枚目■ 共に目標を達成する能力 

人が他人と協力し共同の目標を達成する能力は、...

すべて読む