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人は誰しも大小の差はあれど、何等かのトラウマがあると思います。
それが時々夢に出てきたり、モヤモヤが思考を妨げたりします。
その時の怖さ、寂しさ、辛さは、しっかりと感情の中に埋め込まれています。
大きくなって、その感情から逃げたいと思っても、
感情の方は今の自分を手放してはくれません。
よって、フラッシュバックのようにその場面が思い出されるのです。
自分の人生と言うのは、生まれた時から今までの自分の積み重ねだと思いますが、
しかしその中で受け入れたく無かったり、認めたく無かったりする部分は
当然あると思います。
大人になってから幼き頃と同じ場面を見たら、その時見落としていた事や、
見間違い、受け取り方の違いがある可能性もあると思います。
地方新聞のシリーズで、子ども時代に虐待や性暴力を受けて
今20代・30代になった人が、今の現状を語っている連載があります。
大抵の場合、少年院に入っても社会に出てから行く所がないので、
更生保護施設のような所に入ったりしています。
彼ら、彼女らはどこかの時点で「縁ある人」と出逢っています。
そういう人によって、自分でも愛されるのだと感じることが多いようです。
そして女性の場合は、子どもを産んで初めて、
自分も親に愛されていたのだと気付き、
その時の親の心情を理解することが出来たりもするのです。
自分は愛されていると気付いた人は、更生への道を歩み始めています。
好きじゃなかった自分を今の自分が見つめ直し、
自分は1人ではなかった、自分を愛してくれる人もいるのだと感じた時、
自分の心の奥底で納得がいくのだと思います。
その納得は、自分が認めたくなかったり、受け入れたくなかった幼き頃の自分を
今の自分自身に戻すしかないのです。
幼き頃の自分が、今の自分の所でさまよっても、自分自身が成長・変化しているので
何の意味もないと思います。
今の自分は今の自分として生きているので、
1つ1つその時々の自分の心の戸締りをしていく必要があるのかも知れません。
自分の心の戸締りをきっちりしてこなかったから、
幼い頃の自分が今でも迷い込んでくるのです。
本当は幼い頃の自分も好きなのです。
幼い頃の自分も、今の自分から好きになって欲しいのです。
当然、好きでいてくれていたと思っていたから、
そうではなかったのだと、現在の自分とのギャップを感じてしまったのです。
ただし、その好きは何もかも許す優しいだけの愛や、甘やかす愛ではなく、
厳しさを伴った愛でなければ一体化しません。
厳しさを伴った愛で自分を受け入れてもらった時、初めて一体化するのだと思います。
なぜなら、全てを含んでいるのが自分自身だから。
昨日までの自分の戸締りをするから、今日からの扉が開くのかも知れません。
そう考えれば、1年ごとの自分の節目というものをもっと大切にして、
明日への明るい未来を見つめても良いのではないかと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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