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何事も1つに繋がった時、そこには魂が宿ると思います。
私は能面を打っていた時期があり、最初はただの四角い木をノミで粗削りするのです。
それが段々と目・鼻・口と形が浮き彫りにされ、もっと滑らかな顔の形になった時、
「木」に自分の魂が入り込む瞬間があります。
その時、「木」から「能面」に変わったなと感じていました。
私はお茶を習ったことはありませんが、お点前を頂戴した時、
お茶をじっくり味わいながら部屋の一輪のお花や鳥のさえずりと
自分が一体化した時、至福を感じると思います。
その時が、自分の中に茶道の魂が宿った時だと思います。
カラダも「頭部」「上半身」「下半身」に一本の筋が通った時、
人としての魂が宿るのだと思います。
それは「思考」「意識」「行動」が繋がった時でもあると思います。
何事も1つに繋がった時、
そこには魂が宿り、無限のエネルギーが生まれるのだと思います。
お互いがお互いを補完し合う。
弱さがあるから強さが浮き彫りにされ、悪があるから善も成り立つ。
陰陽の陽炎のように、どちらも必要不可欠なものだと思います。
魂が宿るという事は、そこには目に見えないエネルギーが循環し続けて
いるのだと思います。
エネルギーが循環しているから、前へ前へと進んで行くのです。
前へ進むことは良い事ばかりではありません。
時には辛い事、悲しい事も起きる可能性もあります。
しかし、それも自然の流れで、
その悲しみの前にはまた楽しみが待っているという、
その繰り返しなのだと思います。
哀しみばかりが永遠に続くわけでもなく、
楽しみばかりが永遠に続く訳でもなく、
その繰り返しが1つに繋がった時、
自分の人生が活きてくるのだと思います。
よって、自分には自分の魂しか宿らないのだと思います。

人間関係も同じで、自分から始まって自分で終わる。
絶えず相手とのキャッチボールです。
自分の投げた球の重さ、スピードが相手から返ってくる球の重さ、スピードと
つり合いが取れているから、キャッチボールも続くのだと思います。
自分に魂が宿った時、そこには同時に自分に対する「愛」も宿ると思います。
その「愛」があるからこそ、自分とも相手とも繋がっていけるのだと思います。
何事も1つに繋がった時、そこには魂と愛が宿ると思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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