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例えば学校の先生や保育園の先生が子どもを叱るという事でも、
規則に従わさせる為に叱る時があります。
規則を破れば罰を与えてそれでおしまい。
子どもにとって良い先生は、従う事の出来ない困難を前にして逃げようとしたり、
卑屈になって「自分には出来ない」と人間の誇りを捨ててしまうことに対し、
自分の道を自分で切り拓いていく勇気を与えてくれる叱り方です。
それは自分を大切に思っているから叱ってくれたと感じさせてくれる、
本当に人としての優しい叱り方です。
そして叱られた方はその優しさに触れることによって、
人を大切にする気持ちを育てられるのです。
その優しさとは、人と人の心は通じ合うことが出来るという事でもあるのです。
無視されたり、すぐに諦められたりではなく、とことん向き合ってくれるのです。
人の成長過程においては、反発したり、突っ張ったりする時期があります。
自分の中の悲しみや怒りを素直に出せない時に、形を変えて反抗的になるのです。
そんな時でさえ、本当にその子の中に入って行こうとする人は、
その壁を破って理解し合う事が出来るのです。
そして、反抗的な態度しか取れない子供がそれ以上に悪かったと感じた時、
素直に謝る勇気が湧き出てくるのです。
人が人を信じるという事を知らなかった人が、人を信じるという事がわかった時、
その頑なな心の扉が開いてくるのです。
「安らぎとは、苦しみを生き抜いていく人間が、
 苦しみを乗り越えていくところに宿るもの」
と、言われます。
人間は死の世界に旅立って灰となり土に返った時に、安らぎを得たように言われますが、
確かに肉体的に苦しんでいた場合は、肉体的には安らぎを得たかも知れません。
しかし人間の安らぎは、自分が生きている時に自己と戦い、自分自身と共に
他人をも活かそうとしてこそ、初めて優しい安らぎに包まれるのだと思います。
本当の優しさとは相手を活かすための優しさです。
上辺だけの優しさや、相手を陥れるための優しさは、
何れ自分に跳ね返ってくると思います。
今は死語となっている、昔の不良とかヤンキーとか言われる人たちは、
まだ素直な部分があったと思います。
SNSの時代になってからは子ども達の心も複雑化し、親子関係も希薄になって、
人としての優しさや、人を信じるという事を知る機会が減っているのかも
知れません。
よって悪い事をしていても悪いとは思わず、表面だけの繋がりの中で
生きているのだと思います。
己の中の苦しみを感じ、その苦しみを乗り越えない限り、
その子が大人になったとしても、心からの安らぎは得られないと思います。
ある意味、本当の優しさを知らずに育てられたその子達は、
哀れであり、可哀そうな子ども達です。
それでも、SNSを見ているなら、気付く機会も沢山あると思います。
しかし、見ててもそこから逃げる事しか選択出来ないのだと思います。
人生のどこかで、人のほんとうの優しさを知る機会があればと願います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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