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お金に支配されている人は、お金がすべてだと信じ込んでいます。
確かに、お金がないと何も買えないのが今の社会です。
しかし、お金がすべてではないと思います。
ある人が自分の会社を維持するために必死で働き、過労と不安で死亡率70%の
病に倒れました。
幸いカラダは回復したようですが、その時思ったのが「お金は命ほどの価値はない」
という事です。
それにも拘わらず、人はお金は命より大切であるかのように感じているのです。
その人も会社を維持するためという使命感で、何が何でも資金繰りをと、
会社のお金の流れを維持しようとして、命を落としかけたのです。
結果、命はとりとめたものの、お金を家庭に入れられなくなり、離婚という結果に
なったようです。
仕事と健康を失い、お金を得られなくなると、
家族とも別れるという結果になったのです。
中高年のホームレスはこのパターンが多いようです。
お金は命ほどの価値はないにも拘わらず、お金がないと生きる意味すら失い、
友情も家族も失ってしまうのです。
これも疑問で、なぜ家族で助け合って収入を得る道を考えることが出来なかったのか。
と、思います。
世間でよくある「金の切れ目が縁の切れ目」であるならば、
お金のための結婚にしか過ぎなかったという事になります。
それでは、あまりにも寂しい気がします。
ここで家族が別れるのか、一致団結して家族を守るのかの違いが出てくると
思います。
これも其々の結婚観、家族観の違いだと思います。
反対にお金があれば、パパ活でもホストクラブでも行って、
お金目的の疑似恋愛が出来てしまうのです。
お金がいくらあっても命を失えば、ただの紙屑です。
自分の命、自分の生きる意味の方が大切だと思います。
世間では何かあるとすぐに「いくら儲けたんやろ」と、
人の懐が気になって仕方のない人がいます。
その人の物事の見方は、全てお金でしか換算出来ないのだと思います。
世間にはお金ではなく、使命や志で動く人がいることが、
信じられないのだと思います。
お金や自分の為に動くのではなく、価値を生み出すために動くという事が
理解出来ないのだと思います。
なぜなら、その人にはない発想だから。
その人の外の世界は損得の世界であり、
私利私欲の世界でおおわれているのだと思います。
さすれば自分の内側の世界には何があるのでしょうか。
自分の人生は、お金に支配されるための人生だったのでしょうか。
夕方のニュースで洪水で被害に遭った農家の方にインタビューをしていました。
「家財道具も何もかも水に浸かってダメになった。
でも、近所の人が食べ物を分け合うから、お金が無くても不自由せん」と。
先の「いくら儲けたんやろ」の人なら、さしずめ
「県や市から、いくら補助金が貰えるんやろ」の発想になるのでしょうか?
私も阪神淡路大震災の時に感じましたが、お金より、お互いを思う気持ちや
一緒に頑張ろうという気持ちの方が、生きる希望を与えてくれました。
自分の人生、お金に支配される人生より、
人との繋がりの人生の方を選びたいと思います。
じゃ、また明日!