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私はいじめ問題を見ていていつも思うのは、いじめる側の人の心に
深い傷があるような気がしてなりません。
いじめる側が「自分はいじめていない」と言えば言うほど、突っ張れば突っ張るほど、
その子の心の中は寂しさで一杯なのだろうなと思います。
だからと言って、いじめは許されるはずもなく、その子の育った環境、育てられ方に
注目する必要があると思います。
いじめる側の子どもも、小さい時にSOSを出していた可能性もあると思います。
それを親や周りが気付かず、或いは気付いていても放置したままで、
その子に構うことなく見過ごされてきたのだと思います。
得てして、イジメる側の子は自分の心の傷を隠すかのように、強気で突っぱねて
生きています。
それは深い悲しみを隠すように、周囲に攻撃をすることでしか生きられないのです。
本当は親に気付いて貰いたかったけれど、気付いて貰えなかった可能性があります。
そういう親は比較的裕福であったり、権力者であったり、それなりの職業・地位の
ある人もいます。
そういう場合、愛情で育てるはずを勘違いしてお金で育ててしまったのだと思います。
お金を与えれば愛情を注いでいると、錯覚してしまっているのです。
よって、そういう親は息子・娘の残虐な行為をお金や権力でもみ消そうとするのです。
その行為がまたもや、息子や娘をダメにしてしまうと気付かずにいるのです。
折角、息子や娘の心と向き合うチャンスを潰してしまうのです。
もしかしたら、彼ら彼女らの親自体が愛情を知らずに育ったかも知れません。
本日9月13日、学校法人森友学園への国有地売却を巡る財務省の公文書改ざん問題で、
改ざんを強いられ、自死した近畿財務局職員の赤木俊夫さんの妻雅子さんが、
「なぜ死ななければならなかったのか。本当の事を知りたい」と訴えていた裁判で、
大阪高裁は、財務省元理財局長の佐川宣寿(のぶひさ)氏の証人尋問の必要性はない
と判断して不採用にしました。
妻の雅子さんは「説明も責任もとらなくていいと認められる法廷にしている
裁判所の意味とは何なのか?」と言われているのは、誰しもが感じている事だと
思います。
悪いことをした人が守られ、犠牲になった人が葬られる社会は、各地で発生してる
いじめ問題と全く同じものを感じます。
心に傷を持った人でも、自分の悲しみに打ち勝ち、自分がそうであったから、
そういう人達の心に寄り添って人間性を取り戻させている人もいます。
それぞれの人生を考えた時、1人でも心に寄り添ってくれる人がいれば、
その人の人生が変わるのにと思ってしまいます。
人は、誰かが自分を観てくれていると思うだけでも、生きる勇気が出てくると
思います。
人生、誰と出逢うかは、大きな意味があると思います。
じゃ、また明日!