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上記タイトル「学校は何のためにあるのか」は、30歳で商業高校の校長に
抜擢された柴山翔太先生の著書「きみが校長をやればいい」の中の、
『教育の未来』と言う中のタイトルの1つです。
これまでの学校は「何のために」を見失って運営されていたように思います。
と、書かれているように、前年の年間行事予定や前年度の目標が引き継がれ、
年度の数字を変えるだけ。
「何のために行なうのか」という議論はなく、実施後の振り返りなども曖昧なまま、
という事が多いように思います。
と書かれているのは、全くその通りだと思います。
これは学校のみならず、政治やお役所や団体や、あらゆるところに共通している
ように思いました。
なぜなら、私も含めて言われたことをミスなく前年度を踏襲するのが仕事であると、
錯覚しているからです。
新しいことをすれば挑戦ですから失敗もあります。ミスも出ます。
そのミスを恐れて何もしないというのは、職務怠慢だと思います。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。と言った、現代の働き方が
出来ない世代だからです。
出来ないというよりは、やったことがないという事の方が正解だと思います。
やはり現在の50歳以下の世代は、社会との関わりを持ちながら変化していける
人材が求められる、という感覚が素晴らしいと思います。
そして、これからの学校は経験則だけで進むことはできません。
如何に学習する組織となれるかどうかが重要だ、と書かれています。
学校という組織は一度出来上がったらそれでおしまいのように錯覚しますが、
一般企業と同じく、組織も、教える人間も自分が受けて来た価値観で教育するのは
時代遅れになるという事を意識する必要があると思います。
現状維持は「維持」ではなく「後退」であるという認識が必要かと思います。
柴山先生は「答えがない問題に立ち向かっていく」ことが、
未来の教育を語る上で大切なポイントとなると書かれています。
今までの学校は「正解主義」の従順な子供を作るための場所でしたが、
この時代において、目指すべき学校の役割は、正解がない中で、自分で考え、
決断し、行動していく子ども達の育成の場だと書かれています。
これは学校だけではなく、その子たちが社会人になった時にも必要な、
人材教育だと思います。
よって、学校は人を育てることが必要になってくると思います。
強いては未来の社会人の教育です。
社会に出てから子どもたちが自由と責任を持って生きて行くための術を学ぶ所
でもあるし、その社会の中心になる人財を育む所だと思います。
コロナ後、社会の価値観が大きく変わりつつあるように思います。
SNSの発達で、今までは表には出てこなかった問題も、どんどん浮上してきます。
ある種、ごまかしのきかない社会になってきつつあると思います。
それは、より良い方向を目指すものであって、社会には良い事だと思います。
そんななかで、これからの学校教育はどうあるべきか。
大いに特色ある学校がこれから生まれてくると思います。
今までのように知識を学ぶのが学校ではありません。
知識はSNSでいくらでも学べます。
正解がない中で、自分で考え、決断し、行動していく練習をする場が、
これからの教育の場であると思います。
「学校は何のためにあるのか」
問いかけられた1冊でした。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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