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「ないもの」よりも「今あるもの」に目を向けなさい、と先人たちは言われています。
私自身、ずっと「今あるもの」に目を向けているつもりでした。
しかし、それは考えが浅すぎでした。
その頃は只、目に見えるものだけで判断をして「今あるもの」に
目を向けているつもりでした。
しかし、瞑想をし始めてからは、ものごとの見え方が立体的になり、
只見えている平面的なものだけではない、と思い始めました。
自分自身のことを考えても、これが苦手だから克服しなければ、とか。
皆が出来ているから私もできるようにならなければ、とか。
そういうことに囚われてしまっていました。
自分の出来ないこと、出来ないものを克服してできるようになることは
良いことだと思います。
しかし、出来ないことに囚われすぎて、自分の中で出来ていることも
自分では認められなくなってしまっていたのです。
人間だれしも得手不得手があるので、できないことも沢山あると思います。
しかし、その囚われから一旦離れてみると、出来ない中でも自分はこれが出来ている
のではないかと、その部分を認めることも出来るのです。
自分の中で出来ないことと言うのは、今自分の中には無いことです。
それに固執してしまうと、今ある出来ていることから目が離れ「出来ない自分」と、
自分で自分に「ダメな私」と、レッテルを貼ってしまうのです。
そうなると、余計にコンプレックスの塊です。
しかも、できないことと言うのは自分の人生に於いて、過去のものであったり未来の
ものであったりするのです。
今、それが自分にとって本当に必要かどうか。
その検討がなされていない場合が多いと思います。
今現在自分の人生はどう在りたいか。を考えた上で、本当に足りないことや
身に付ける必要のあるものは、きっと自分から身に付けることに着手していると
思います。
そうでなければ、優先順位としてはそんなに高くないことだと思います。
そんな優先順位の低いことに、今現在の時間を使うことは勿体ないなと
思うようになりました。
そして、ふと気が付けば、過去に囚われていた自分がいつの間にか、
過去や未来はどうでもよく、未来は今の積み重ねだから、今の在り方を
しっかり生きれば良いし、過去は改善すべき所は改善する必要があるけれど、
囚われる必要がないという自分に変わっていました。
するといつの間にか「こうしなければならない」意識が消えていたのです。
今、急に母親の子育てのことを思い出しました。
私は小さい時から物欲があまりなかったので、お中元・お歳暮の時期になると
病弱な母親のボディーガードとして、母は姉と私を百貨店に一緒に連れて行き、
何か1つ好きなものを買ってあげると言いました。
私は小学1年生のクリスマスに、当時としては大きなお人形をプレゼントされていたので、
いつも「いらない」と答えていました。
すると、母は「この本が良さそうだからこれを買いましょう」と言って、
いつも本を1冊買ってくれました。
それはいつも母子物語で、自宅に帰って真っ先に読んで感激して泣いていたのは、
母でした。
私はそれから次の百貨店行きまで、目の前にあるその本を何度も何度も読んでいました。
その結果、母子の絆や信頼関係が身に付いてしまい、悔いの無い介護生活を送ることが
出来ました。
これは完全に母の戦略にハマってしまったのかも知れません。
目の前にあるものに目を向け続けるという事は、時間の空間を越えて、思想や価値観に
変化をもたらし、奥行きを広げていくものだと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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