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私達は昔の人に比べれば、かなり幸せなはずです。
なぜなら、世界中の食べ物を口にすることが出来、何処へでも旅行できます。
国内のみならず、地球のあちこちに旅行することが出来ます。
暑いと言えば冷房があり、寒いと言えば暖房があります。
家にいながら映画も見れます。
世界中のニュースや情報もSNSで手に入れることが出来ます。
出張や旅行も、新幹線や飛行機の発明で時間の短縮が出来ました。
日本人は誰しもが学校に行って勉強することが出来ます。
大阪では来年度から段階的に、高校授業料完全無償化が決定しました。
これだけ便利になり、安全な日本なのに国民は全員幸せなのでしょうか?
むしろ、戦後の復興期の古い写真などで真っ黒になりながら働いている人達を見ると、
その時代の国民の方が笑っているような気がします。
現在は時間短縮で合理的、効率的に物事をこなし、どんどん無駄を省いています。
今後AIが出回れば、もっともっと効率的になると思います。
子供と一緒に流れ星をずっと待っていたり、サンタクロースさんは来てくれるかなと、
寝かしつけながらお話ししたり。
そういう、ゆとりのある会話がどれだけできるのでしょうか。
時間の流れが速くなり、何もかもがスピード時代になって、
色々な意味での「ゆとり」というものが無くなってきたように思います。
無駄を省いて効率よく生きるのが良しとされる中、
一見無駄や意味の無さそうな事の中に「幸せ」というものが隠れているような気がします。
地球沸騰化と言われる所まで来ている現在、
家の外には打ち水をして、家の中では氷柱を置き、首にタオルを巻いて団扇であおぎ、
冷えたスイカを食べる楽しさを思い出しても良いのではないかと思います。
現在は無駄な時間を楽しむ余裕が全くなくなってきているように思います。
余裕が無いから感じることが出来なかったり、考えることが出来なかったりだと
思います。
効率化はモノを生みだしたかも知れません。
しかし、一見何も生みだしていない非効率なことは、
そこに意味を見出し、幸せを感じさせてくれる可能性があります。
雑草が生きる強さを教えてくれたり、つがいの鳥が幸せを感じさせてくれたり。
そういう事は、心に余裕がないと感じる事が出来ません。
心の余裕が幸せを感じさせてくれるのだと思います。
自分の幸せは何処にあり、
心のゆとりはどこにしまってあるのでしょう。
自分の幸せや、幸せに暮らせる地球の事を考える心の余裕が欲しいですね。
じゃ、また明日!