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私達は日々葛藤の中で生きています。
「やりたい」と言っているのに「やらない」という、
「表の目的」と「裏の目的」があり、
いつも「裏の目的」が自分の脚を引っ張っているのです。
例え話として出ていたのですが、
好きな人に告白して近付きたい(表の目的)
(けれど、もしも断られて引かれてしまったら)
今の関係を壊したくないから(裏の目的)
告白せずに、今のままの状態を続けておく(実際の行動)
このように無意識のうちに「裏」と「表」を天秤にかけて、
その行動を選んでいるようです。
私自身もそうなのですが、なかなか一歩を踏み出さないのは、
踏み出すことによって、今と違う状態になる事を恐れているからだと思います。
自分が好きで選んだやりたい事や仕事ならば、それは至福と言えます。
しかし、自分がやりたいと思っている仕事なのに「自分には到底できない」と、
思ってしまうのなら、それは自分の中の自我がそう思わせているようです。
それは自分の内側にあって、自分を押さえつけている自我そのものです。
その自我は、自分が本当にやりたいとか、信じたいとか、出来ると思う事や
愛すると決めたものなどは、本当の自我そのものです。
しかし、社会や組織、他人から与えられたものが、
自分の人生そのものになってくると、本当の自分の内なる声を聞くことが
出来なくなってくるのです。
こうあるべきだという自分の囚われや固定観念が、
自分の「内なる声」を見えなくし、前に進むことを拒んでしまうのです、
全く違う角度から見れば、固定観念や作られた自我は壊すに値するものですが、
自我の殻を打ち破るには、かなりの勇気がいります。
それは自分の中で、自分にとって命と同等に大切なものは何かを、
見つける事だと思います。
自分はどう在りたいのか。
自分は何に悦びを感じるのか。
自分は何を遺したいのか。
それらは「自分を生きる」ことにとって、命のありかであり、
自分の生き甲斐に値するものだと思います。
自分の脚を引っ張る「裏の目的」を打ち倒すのは、
やはり自分の内なる、純粋な声だと思います。
自分の脚を引っ張る囚われた価値観は、一刻も早く手放し、
純粋な意識で「表の目的」に集中していきたいものです。
じゃ、また明日!