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教育評論家の佐藤亮子さんが、子育てについて書かれていました。
「子育ては2歳の子どもを育てながらでも、
その後ろに20歳の子どもの姿を見ながら育てる視点を
忘れてはならない」と。
確かにこれは言えているなと思いました。
2歳の子どもだけを見ていると、その場その場で注意したり叱ったり。
それで問題行動が治まればそれで良しとします。
その子が20歳になった時の事を思い浮かべれば、ある意味、子どもは大人です。
その大人になった時を思い浮かべて注意すると、
世の中に出て恥をかかないように。
また、常識的な事を知っておくように。
或いは、本質的に考えられるような人間になって貰いたい。
と思いながら注意すると思うのです。
そうなると、ただ単に「ダメ!」だけではなく、そこには理由や考えさす余地が
必要になって来るかも知れません。
今日、ジムのトレーナーさんと話をしていて、次はマネージャー候補かと
いうぐらいの立場になってきたのですが、本人が将来マネージャーをやりたいのか、
現役のインストラクターでスタジオを持ち続けたいのかによって、勉強することが
違ってきます。
大概は皆さん独立を考えておられるようですが、どういう内容の独立かによって
準備することも違ってきます。
未来像なくして「独立がんばれよ!」だけでは、何の意味もなさないと思います。
そのトレーナーさんは体力の続く限り、現役トレーナーとして動いておきたい。
とのことだったので、一度はレッスンを受けたことのある、そのプログラムの
日本一の方に、またお会いしに行ってオーラを直接感じる。
か、レッスンを受けることが出来たらレッスンを受ける。という事で
話は終わりました。
将来「自分は関西で頑張っています!」と言えるようにと。
こう考えたら、将来に繋がる視点でいうと、年齢は関係ないと思います。
2歳の子どもの後ろに20歳の子どもの姿を見ながら育てるのと、
20歳代の人の後ろに40歳代の姿を見ながら話すのと、
40歳代の人の後ろに60歳代のその人の姿を見ながら話すのと。
結局はその方の20年後はどのような現役姿なのか。
それを想像しながら話すのと、今だけの姿で話をするのとは、
もしかしたら今現在の「選択」も違ってくるかも知れません。
子育ては親や周りの人の誘導によるかも知れませんが、
すでに大人になった人の場合、自分の中に判断・選択があると思います。
よって、その時の人との会話はあくまで参考程度だと思います。
最終的には自分の判断・選択になってくるので、結果は自分の責任です。
しかし、話をするこちら側も、
その人の後ろにある20年を意識しながら話す方が、
より、まともな意見が言えるのではないかと思います。
自分1人で考えていると、時には迷路に陥ってしまう時があります。
そんな時はむしろ違う考え、違う発想の人と話せば、また違った門が開く
可能性があります。
その人の意見に従うのではなく、そういう視点もあるということを知る機会にも
なると思います。
結局は、相手が子どもであろうと大人であろうと、壮年・老年であろうと、
真摯に受け止めて、誠意ある姿勢で返して行けば、道は開けると思います。
人生は長いようで直ぐに通り過ぎてしまします。
あっけないくらい早い時間でも、
悔いなく幸せにすごせたら、それで良いのかも知れません。
じゃ、また明日!