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「縁起」と言う言葉はお釈迦さまの教えに由来しているようです。
縁起とは「縁(よ)って起こる」という事だとか。
原因があるからすべての現象は存在する。
その存在が原因となって次の結果がもたらされる。
そう云った因果関係をお釈迦さまは悟られたようです。
私達の命も生まれ死ぬ。そしてまた死ねば生まれる。
よって必ずどこかで繋がっているのです。
その何処かですれ違った人が、また生まれ変わった時にどこかで出会っているのが、
「ご縁」かも知れません。
木は根っこが無ければ大きく成長する事が出来ないし、
自分自身を支えることが出来ません。
そこには土や水や温度や光が無ければ、木を大きくすることは出来ません。
この時、根があるから=原因 水や光が条件となって木が成長します。
そして、その時に必要なのが心根を育てる、本質や価値観と言った養分です。
根を「因」、水や光や養分を「縁」、木が枝葉を付けて成長することを「果」と呼びます。
このように縁(よ)って起こる法則を縁起と名付けたようです。
あらゆる物事はすべて因果関係で成り立っており、それ自体では存在しません。
私自身も、両親―祖父母―曾祖父母と、父方母方の何代も前のご先祖さまがあっての自分です。
長い歴史の中ではどこかで誰かと繋がっていたと思います。
よって初対面でも、どこかでお会いしたことがあるような気がしたり、
少し話をしただけで非常に理解できる相手と言うのは、ご縁があるのかも知れません。
お釈迦さまは、苦の原因を探り、苦を滅する事で生存の苦しみから抜け出す。
と言われています。
つまり、渇愛が原因となって執着を生じ、
執着する事が原因で苦が生じる。
という因果関係を解き明かしています。
私達は執着することで、自分が苦しくなることがあります。
それを手放せば、その苦しみから逃れられるのですが、なかなか手放すことが出来ません。
私も手放すのが苦手でしたが、瞑想によってかなり手放すことが出来るようになりました。
執着からは何も生まれません。
むしろ苦しみしか生まれません。
目標達成や自分のビジョンに向かっての執着は、喜びにつながりますが、
感情の執着は苦に繋がります。
そういう意味では瞑想に出逢って本当に良かったと思っています。
じゃ、また明日!
「ヴェーダ瞑想体得講座」