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私達は自分の価値観に縛られてしまいます。
なぜなら、それが正しいと思い込んでいるからです。
よってすべての事を自分の価値観で判断し、イラついたり納得したりしています。
しかし、その判断は時には間違いを犯し、目の前にいる人やものを素直に見ることが
出来ず、複雑化して見てしまいます。
私自身も何の束縛もなく自由だと思っていました。
しかし、それは思い込まされていたという事だったのです。
なぜならその自由は、思い込まされていた価値観の中の自由だったからです。
よって、世間の常識から外れないように、窮屈な自由を自由と思い込んでいました。
そして、その不自由を他人にも押し付けていました。
自分に理解出来ないものは「おかしい」と思い、自分の価値観を他人にも
押し付けていました。
そこには他人を思い通りにしようという想いがあったのかも知れません。
自分を縛り付けていたのは、世間の常識ではなく、自分自身の心が縛り付けていたのです。
1つの考えに囚われると、それ以外が目に入らなくなるようです。
自分の中の常識・価値観が全てだと錯覚してしまうのです。
自分の価値観が絶対ではないとわかってくると、その自由も又、違ったものになります。
結局は、人の数だけ価値観や生き方もあるという事です。
捨てるのは、囚われている自分自身の心です。
囚われた価値観や、思い込まされた常識から脱却しない限り、自分の自由は
思い込まされた自由の範囲以外は見ることが出来ません。
人を理解しようとする時も、「相手の価値観を受け入れる」所から始まると思います。
相手の価値観と違っていても「自分は自分、相手は相手」と自分の中で線引きが
出来ていれば、価値観の違いを受け入れることが出来ると思います。
al; text-align: start;”>そして、どうしても相手を受け入れることが出来なければ、「相手を諦める」事も大切だと思います。
惰性でのお付き合いは、その人間関係からは何も生まれないという事です。
自分の自由度を下げるのは、謙虚さが欠けた時です。
謙虚さが足りないと、ついつい「自分は正しい」と思ったり「自分の思う通り」に
なって欲しいと、傲慢いなったりもします。
先ずは自分の自由度を上げて、より正しい判断が出来るようになりたいものです。
じゃ、また明日!
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