タグ:
私は昔からお節介焼きでした。
小さい頃は人に親切にすることは良い事だと教えられました。
よって、自分が出来る範囲の親切をしていたので、
人から褒められたりもしました。
親切にすることは良い事だと信じて、そのまま大人になりました。
大人になれば先が見えるので、何かと先周りをして対処していったのです。
しかし、この親切には裏があったようで、誰のための親切かという事です。
親切にする、頼まれてもいないのにお節介をやくという事は、
誰のためにやろうとしている事なのか、という事です。
自分では相手のためと思って今までしてきましたが、
「自分の存在を常にみんなに伝えようとしている意思が伝わっている」
と、言って頂きました。
言って下さった方は私の失敗を冗談でカバーして下さったのですが、
自分の存在をPRするのは「誰のため、何のため」なのか。
言われた言葉そのものに、ふと立ち止まりました。
子どもの頃に褒められたことが嬉しくて、その時に
「褒められるという事は、自分には価値があり自分は人より偉いんだ」と
錯覚をしてしまったようです。
その錯覚が今も続いて、自分からPRをしているのかも知れません。
人に認めて貰いたい。人から褒めて貰いたい。
そうなると、自分が「良かれ」と思ってしていることは、
本当は自分のための「良かれ」であって、相手にとっては迷惑な事だったかも
知れません。
少し困ったことがあれば、それを解決しようと首を突っ込んでしまう。
相手の事情を聴いただけで、勝手に動いてしまう。
それは単なる自己満足に過ぎなかったのかも知れないけれど、
「相手の為」と自分勝手に錯覚してしまう。
人に目が行っている間は、自分に目が向いていないと、
以前自分で書いておきながら、わかっていなかったようです。
やはり私の心の奥底には「自分なんて・・・価値がない」という魔物が
巣くっているようです。
自信の無さも、自分の無価値観から出ているのだと思います。
人にお節介を焼くのも、先走りして動いてしまうのも、結局は
自分を認めて欲しかったためなのだと、改めて感じました。
まだまだ自分に目が向いていない証拠です。
自分と向き合うキッカケを作って頂いた事に感謝です。
じゃ、また明日!
【加藤秀視さんの新刊】 9冊目の本が5月30日に出版されます。
加藤秀視「世界一シンプルな人生を切り拓く技術」
加藤秀視「世界一シンプルな人生を切り拓く技術」
Amazonで予約注文ができます。