タグ:
最近では「ビジョン」という言葉をよく聞きます。
就職活動をする時も、その企業のビジョンを知ろうとします。
自分の生き方に於いても、ビジョンを聞かれたり考えたりします。
ビジョンとは、企業に於いては「自社の将来の構想や洞察力」であり、
個人に於いては「自分の将来のなりたい姿」です。
そしてその目的でもって、日々時間を費やすと思います。
企業の目標の先にあるもの、或いは自分の人生の目標の先にあるもの。
これを明確化しているかしていないかによって、その結果は全く違ってきます。
企業に於いてビジョンが無いという事は、日々の業務ですべきことが
明確になっていないという事です。
よって、努力目標が立てられません。
また、日々の業務に対しても意味を見出すことが出来ず、
中長期的な見通しも立てることなく、意思決定の軸となるべきものも無いので、
ブレるしかありません。
個人に於いては、毎日の24時間をただ過ごすだけということになり、
人生の持ち時間をただ食べて寝る、という事だけで終わってしまいます。
これが国家単位となると、どうなるでしょう。
国のビジョンが無いという事は、国民は何処に向かって走れば良いのかわかりません。
何を信じれば良いのかわかりません。
私が学生の頃は世の中がにぎわっていました。
サラリーマンは「24時間はたらけますか」というコマーシャルがあり、
「イケイケどんどん」の強気で周りの状況も考えずに、
とにかく作業を推し進めるという風潮がありました。
今から思えば、やり過ぎ働きすぎの時代でした。
それは何故か?
それは、国が戦後復興で「日本を豊かな国にしよう!」と、
政治も国民も一体となって、前を向いていたからです。
「戦後の経済を復興させよう」というビジョンがあったからです。
そのビジョンの元、政治も国民も一生懸命に「日本を豊な国に!」と
夢を持つことができたのです。
今の日本のビジョンは何かと聞かれたら、
残念ながら、私は正直何も思い浮かばないのです。
あの頃はお給料も右肩上がりで、
少しずつ生活も豊かになっていくのを感じていました。
世の中は何をやっても元氣がありました。
マスコミも各社・各局の主張がありました。
いま、それらを感じることが出来ません。
「指示待ち人間」と「忖度人間」で上司に自分の意見を述べるという
事が出来ない人間で溢れています。
そして、まともに考える人は自殺に追いやられたり、神経をやられたりします。
それが未来の子ども達に見せる姿なのか。
未来の子ども達に夢を与える姿なのか。
残念としか言いようがありません。
その責任は「NO!と言えない日本人」に育ってしまった我々大人に責任があると
思います。
そして、そのように育てられた教育に責任があると思います。
教育内容は未来のその国の姿だと思います。
国のビジョン、教育のビジョンを考える必要があると思います。
否、考えないと日本は世界の中で埋もれてしまい、
益々影が薄くなると思います。
じゃ、また明日!