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何かをする時、自分の意志ではなく、何かやらされ感がある時は自由が欲しいと思っていました。
いざ「何も条件は付けないから、今日から自由にやって下さい」と言われた瞬間は、開放感がありました。
なぜなら、もう何も気にせず、自分の思った通りに自由にやれるのだから伸び伸びと出来るのだ!と。
しかし、開放感があるが故に、全て自分がしなければならないことに気が付きました。
今まで条件が付いていたから、自分がしなくても依存出来ていた部分もあったからです。
そのような場面が日に日に出て来ると、全てを自分でやらなくてはどうにもならないことがわかってきました。
依存していた部分が見えて来たのです。
自分で自由に何でも出来ると思っていたけれど、全てを洗い出して考えて「これなら出来る」と判断したのではなく、ただ、今の状態なら多分出来るだろうと判断してしまった甘さが。
自由の裏には、自分でやったことの責任は自分で取るという、おまけがついていたのです。
責任という、おまけが付いて来たと思ったけれど、よく良く考えると、当たり前の事だったのです。
なぜなら、自立とは自分の行動結果は自分で責任を取る事なのだから、当たり前と言えば、当たり前のことです。
自分が選択して、自分が思い通りにやりたくて、自分が決めたのだから、結果がどうであれ、その結果に対しては自分が責任を取らなければ、誰も代わって責任をとってはくれません。
そう思えば、自立をするという事は「7つの習慣」にも書いてあったように、自分に責任を課し、自らの目的を明確にして、目標達成に向けてセルフコントロール出来る人が「自立した人」と定義してありました。
私のようなレベルでは難しい事のようですが、自由を手に入れる為には、当たり前の事だと思います。
じゃ、また!