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報道のタイトルには色々工夫がされていると思います。
例えば新聞の見出しは記事の内容がわかりやすいように、
内容の本質を把握した見出しであったり、
それだけで結論がわかるような見出しであったり。
しかし、紙の新聞とSNSの新聞は同じ内容でもタイトルが違う場合もあるようです。
そんな場合は記事を読んでみないと本当の所は解りません。
昨今の若い人は新聞はあまり読むことがなく、
ニュースは全てSNSから知っていくようです。
しかも芸能ニースの合間に、チラッと出てくる本来のニュースを。
タグのみ読んで理解しようとしたり、タイトルだけで理解したつもりになったり。
しかし、見出しと中身が違う場合も多々あります。
例えば週刊誌などの場合、特にそれにあたると思います。
先ず、広告の段階で、如何に読者を引き付けるかなので、
非常に興味のある、覗き見したいタイトルを付けています。
「え?」と思って、詳しく知りたいなと思えば買って読んでしまう。
そんなタイトルの付け方をしている場合があります。
そういうものはたいてい、タイトルと中身が違ったりするので、結局は
「なーんだ!」で終わってしまうのですが・・・。
そんな中で如何に事実を見抜いていくかは、一人1人に掛かってくると思います。
これからは記事のたたき台はAIになるかも知れません。
そうなると、各新聞社、各局は同じようなたたき台でニュースを作ることになります。
しかし、何処の社でも、たたき台があれば、たたき台に乗っかった話し合いに
なってしまいがちです。
0から自分達で考えないので、AIのたたき台の方が広範囲から情報を集めているし、
自分達より確かだろうと、それに乗っかって話し合いに入ります。
そうなると、各社の切り口、特徴があまり変わらなくなってしまうと思います。
よって、これからは何処までをAIに任すのかという線引きが、非常に大事になって
来ると思います。
自分達が世の中を変えていくという実感がないと、
力を持っている人への批判しかなく、
自分達で打開策を考えることが出来なくなります。
一個人で何ができるかと考えた時、
誰のための政治か、誰のための教育か、誰のための報道か。
自分が民主主義の一員であるという意識を持って、
生きていきたいものです。
その為には、どんなつたない考えでも、
自分が感じたことは発信し続けることが大切だと思います。
それと同時に、違う意見には耳を傾ける事も必要だと思います。
(言論の自由を考える5.3集会より)
じゃ、また明日!