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私は、昔は走りながら考えるタイプでした。
その時は「もっとじっくり考えてから動けばいいのに」と自分でも思っていました。
歳を重ねると、走りたくても走れないようになりました。
膝が痛いだの腰が痛いだの。
息切れするのがわかって来たのか、走れない理由ばかりを並べるようになりました。
結果「自分はもう走れなくなったのだ」という「思い込み」に浸っています。
果してその思い込みは事実でしょうか。
高速道路の下の信号機など、かなり長い距離の所があります。
若い時は少し手前からでも余裕でもって走り抜いていました。
今は「走れないだろう」という思い込みで、諦めが先に立ち走ろうとしません。
先日、約束の時間に間に合う電車に乗るため、思い切ってゆっくり走って見ました。
時の経過は環境を変えていました。
町にお年寄りが増えたせいか、いつの間にか信号の渡る時間が長くなっていたのです。
お年寄りが杖をついて渡っても大丈夫な位に、青信号の時間は延びていました。
私もあわてて走る必要が無かったのです。
渡り切れないだろうという「思い込み」や、渡り切れなかったらという「不安」や、
もしも途中でこけてしまったら迷惑がかかるのではという「心配」など、
余計な事をごちゃごちゃ考えすぎるのです。
そういう「目的」とずれたことは一切考えずに「信号が赤に変わるまでに渡り切る」
というシンプルな目的だけを考えて渡れば済むことだったのです。
最近は無理をせず、信号は1つ遅らすと決めていた私ですが、
ここでまた考えを変えることにしました。
手前から見ていて青になった信号を1つ遅らすと決めつけずに、
渡れそうな時は先ずは渡ってみる。
ギリギリの所もあるだろうし、黄色に点滅する所もあるかも知れません。
その時は手を挙げてゆっくり小走りに走れば車は止まって待ってくれます。
自分の思い込みで諦めてしまわず、やってみた結果で考えた方が現実的だと思います。
実際に試してみて、それぞれの条件を確認すれば良いのです。
1つ遅らせて待っていたら、それが習慣化していつでもどこでも
信号機は待つものになってしまいます。
そうではなく、よけいな事を考えずにまず自分で実験してみる。
自分でやりながら、ここはこうだったと、確認していけば良い事だと思います。
信号機に限らず何か悩んだり迷ったりする時は、先ず動いてやってみる。
それで失敗したら、失敗だったという答えが出るから、同じ事をしないで済むのです。
自分のしたいことは何か、目的は何か、それがあれば後は心配や思い込みは一旦
ゴミ箱にでも捨てて置いて、やってみるだけで半歩は進めるのではないかと思います。
諦めかけていた「走りながら考える自分」を、想い起したいと思います。
じゃ、また明日! 


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jibunoikiru@gmail.com

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