タグ:
東日本大震災は、12年前の3月11日14時46分、突如襲ってきました。
私は自宅で何気なくTVを付けていると緊急速報が流れ、
そこからずーっとTVに釘付け状態でした。
画面から流れる津波の大きさ、波が町を飲み込んで行く様子、
阪神淡路大震災とは違った地震のあり方でした。
それから12年、ようやく震災のことが口に出来る人々も増え始めました。
まだまだ、口に出来ない方々もおられると思います。
その時の悲しさ、辛さの深さによって、心の傷の癒えかたは違ってくると思います。
神戸でも20年経ってやっと口に出来るようになった方々もおられました。
建物は復興しても、人々の深い悲しみや辛さは消えるものではないと思います。
帰りたい時には家や仕事や町は無く、町らしくなってきた時には帰ってくる人がいない。
震災のたびに、この時間のずれを何とか出来ないものかと思ってしまいます。
この本は震災2日後から被災地に入って炊き出しを始め、被災地に施設を建てて
学習塾を開き、ボランティアマッチングを行い、被災者雇用をした加藤秀視さんが
被災者の方々からの手紙を集めた本「南三陸町からの手紙」4年分4冊からの抜粋です。
ほんの少ししか掲載できませんが、今もなお東日本大震災を忘れないし、これから先も
いつどこで大震災が起こるかわからない中、自分事として捉えていきたいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
震災で感じた焦りも痛みも安堵も喜びも悲しみも 全て忘れないように。
たった1カ月の結婚生活も忘れないように。
一緒に探してくれた友人への感謝も忘れないように。
一緒に泣いてくれた友人を大事にする心を忘れないように。
妻へ
自分を選んでくれてありがとう。
本当に感謝しています。
「待ってて」は悠長すぎるから、
生まれ変わってまた自分の近くに生まれてきてくれたら、
それだけでいいです。//
皆さんにとって、大切な人が、大切な日常が、明日も明後日もすぐ隣にありますように。//
災害の恐ろしさ、命の大切さ、災いを防ぐ『防災』が
災いを忘れる『忘災』にならないように。//
<子ども達の未来に生き様を残す>加藤秀視 一部抜粋
あれから早4年。今でも鮮明に脳裏に映像が焼き付いている。
今、当時を思い出して言えることは、月並みな言葉かも知れないが、
当たり前のものなど何1つとしてないということ。
今一緒にいてくれる人もいつまでも一緒にいてくれるわけじゃないということ。
私達はいつ何を奪われるかわからない。
だから私達には「今」をどう生きるか? しかない。
今、誰と一緒に過ごし、
今、何を伝え、
今、何をするのか。
私達は「今」を生きることしかできない。//
じゃ、また明日!