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「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」と書いているのは
思想家であり古典文献学者であるニーチェです。
私たちは事実と解釈を区別せずに、自分で混乱させている場合があります。
周りの空気からすればこうしなきゃいけない。
親や先生が言っているからそうしなければならない。
世間がこうだかそういうものなのだ。
と。
人との挨拶でも「今日は暑いですね」「今日も寒いですね」と無意識に言っています。
しかし、暑さ・寒さは人によって感じ方が違います。
私などは冷暖房を入れないので、それに慣れているせいか真夏日と言われてもさほど暑くなく、
また、部屋の中でも厚着しているので、言われるほど寒いとは感じません。
よって、暑い・寒いの判断は人によって違うはずです。
気温40℃という事実のもとに「暑くて死にそうだ」という人もいれば「少し暑いですね」
で終わる人もいます。
感じ方は十人十色なので、その解釈をどう捉えるのかによって未来が変わってきます。
それは自分が捉えるから自分の選択結果が出ます。
そうであるのに「まわりがこうだから」とか「合わせておく方が良いだろう」とか
自分を抜きにして周りの目で解釈してしまうのです。
自分に自信が無かったり、人に気を使い過ぎたりして、結局は自分の解釈を少し
まげて和を保とうとするのです。
或いはトラブルを避けたいがために、相手のことを気にして解釈してしまう。
それを続けていても、自分らしく生きているとは言えないのです。
コロナにしても最初の2~3日はワクチンを疑問視していたマスコミも、
その次の日からこぞって「ワクチンは打つべし!」に変わりました。
あの時はTVを見ていても違和感を感じました。
あまり打ちたくない人でも、職場の圧力により打たざるを得ない人もいました。
未だにワクチンの検証結果を私は知りません。
ただ、私の身の周りでも、「ワクチンは打つべき!」と言っていた方々も
4回目くらいからは「もう、いいんちゃう?」になってきました。
今度はコオロギです。
「コオロギはタンパク質があるから」と、推奨し始めました。
片や「コオロギは毒性があるから食べてはいけない」という解釈もあります。
正解のない、予測困難な不確実性の時代になってきました。
誰かが見つけた正解に飲み込まれて行って、それが正しいと思ってしまう。
そんな中で自分を信じて、誰の目も気にせず自分の解釈で自分の判断を下すことが
結局は自分で自分を肯定することになるのだと思います。
じゃ、また明日!