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CODE海外災害援助市民センターから現地に行かれていた方が帰国され、
「トルコ・シリア地震 現地派遣緊急報告会」の案内でZOOM参加しました。
2月6日にトルコで大地震が発生し、CODEのスタッフは2月10日に日本を出発し、
2月18日に帰国されました。
その1週間の間に4か所、市や群を廻り、ヒアリングや調査、物資提供をされました。
直ぐに出発できたのは、コープこうべさんの100万円の寄付があったからだとか。
どの地域もその時は焚火を囲んで暖を取ったり、自分で買っていたテントを使ったり、
ブルーのビニールシートをテント代わりに使ったりしていました。
流石トルコと思ったのはテントやビニールシートの床にはトルコ絨毯が敷かれていたり、
絨毯を囲ってテント代わりにしていた写真もありました。
CODEの方は、炊き出しや物資の配布の手伝いをされていました。
聴き取り調査では、「今も揺れているようで不安だ」という声や、次に移動する時に
子ども達から「また来るの?」と聞かれ、何とも言えない気持ちになられたようです。
被害の小さい所から学生がボランティアに来ており、
イスタンブールから来ていた学生は「人手が足らないから帰らないでくれ」
と言われたとか。
現地の人は「最初、炊き出しが来たけれど、その後は何も来なくなった」
「ボランティアが帰ってしまったら、不安になる」と言われたようです。
私はTVのニュースでも知っていましたが、住宅棟のビルの1階は店舗に
なっている所が多く、店舗面積の拡張の為に柱を切っている所があるので、
そこから崩れ落ちていました。しかも柱は細いので潰れてしまっていました。
これは人災に当たるのではないかと思います。
1999年にもトルコは大地震があり、2018年に最新の耐震基準に刷新しました。
しかし、その通りにはなっていなく、基準通りになっていればこれほど被害が
出なかったのではないかと、市民は嘆いていました。
よって地元の人は「1999年の地震から何も学んでいない」と言われていました。
エルドアン大統領は1年で被災地の全住宅を再建すると言っていますが、
政府系の建物は倒壊していなく、それ以外の建物は倒壊しているのが現状です。
なぜなら、お金を払えば建築の許可が下りるようで、その様な民間が建てたビルは、
倒壊しているのです。
娘さんのマンションが倒壊した男性は「日本の耐震技術を伝えてほしい」
と言われました。
また「僕たち被災者の話を聞いてくれたのは、あなた達だけだ」と言われたそうです。
トルコの方たちは自分達で何とかしようとするようで、
他国にはあまり期待していないようです。
CODEの方は、トルコの人達の主体性と自負を尊重した支援が重要だと思われました。
復旧は迅速なスピードで進められ、一部を除き2週間足らずで捜索を打ち切り、
仮設が建ち始めたようです。
日本のような仮設もだし、コンテナそのものを並べて仮設にしているのもありました。
まず道路を整備したので渋滞もなく、支援物資がスムーズに運べたようです。
私の母は透析をしていたのですが、透析をするには水が必要でした。
その病院は館内すべての水を止めて、透析患者の為に水を確保してくれました。
他府県の病院からも大きなタンクに水を入れて持ってきてくださいました。
しかし直ぐ近くまで来ているのに、道路が瓦礫の山でトラックが通れなかったのです。
丸2日、ついそこまで水が来ているのに届かないという忸怩たる思いを皆が味わいました。
これからの課題として、
・どれだけ被災者の声を反映できるのか
・取りこぼされている地域や人はいないのか
・仮設住宅などの被災者のサポート
などを挙げられていました。
トルコという国は自分達が行って何かをするのではなく、
現地を支えてくれる人をCODEの人が支えるというやり方をされており、
一段落ついて仮設住宅での生活の時にサポートをすれば良いと思われたそうです。
上の人は「お金は欲しいけれど、学校やセンターなどの支援のやり方には、
口を出さないでほしい」という感じなので、今は何もしなくて良いと思われたようです。
国によって、またリーダーによって支援の要求は違うと思います。
自分達の国と同じだと思ってやると、被災国の要求と違ってくるので、
援助する側もそのあたりを考えて援助する必要があるのかなと思いました。
報告をして下さったCODEの皆さんが帰国されたのが18日、
20日にはまたトルコでマグニチュード6.3の地震があったようです。
日本とトルコは交代交替に大地震が来ているようで、
もうすぐ日本も大地震が巡って来る可能性があるので、気を付けたいと思います。
じゃ、また明日!