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「沈黙は共犯」と言ったのは、ムクウェゲ医師ですが、
ムクウェゲ氏に関してはまた、後日触れてみたいと思います。
この「沈黙は共犯」という言葉、あらゆる所に通じると思います。
次から次へと明らかにされて行く学校のイジメ問題。
このイジメ問題に関しても「沈黙は共犯」という考えが浸透すれば、
イジメられている子を見た時も、見て見ぬふりをする子どもも減ると思います。
みんなでイジメはいけないことだよと言う人数が多ければ、イジメている側が
自分達は少数派だと自覚せざるを得ません。
しかし、皆が沈黙していると、イジメている側も沈黙している人達は自分たちと同じ、
イジメる側だと思って、余計にエスカレートしていきます。
沈黙するのは、何か言えば次は自分がターゲットになるからです。
何かいえば「チクった」と言われるからです。
何か言えば、自分が集団から浮いてしまうからです。
企業や会議に於いても、何か発言すれば目立ってしまい、皆の目が集中してしまいます。
何か発言すれば、発言した者が責任を取らされます。
自衛隊内でのセクハラも見て見ぬふりです。
その結果が、人々の役に立ちたくて自衛官として誇りを持って入隊したのに、
辞めざるを得ない結果になるのです。
本当は真逆だと思います。
沈黙は依存体質が身に付いているからです。
自分の考えを言うことなく、人の顔色を見て、多数の方に従ってしまう。
もしかしたら子育ての中で親が何もかも先にやってしまって、子どもが自分で考えて
自分で決めるという習慣が出来ていないのかも知れません。
そして大人になって会社に入っても、権力のあるものがいれば
反論できない雰囲気になってしまう。
権力のあるものに逆らえば村八分になってしまって孤独になる。
だから権力のあるものに賛成ではないけれど、黙ってついていくしか
自分の身の安全はない、と。
身の安全から言えば、校長という立場で退職間近になれば、退職金も全額貰いたいので、
問題は無かった事、知らなかった事になるようです。
それがその校長の長い教員生活の「有終の美」の姿です。
よって校長という年代の人も、自分と言う軸を持たず、事なきの人生を
ひたすら守ってきたのだと思います。
それがその校長の選んだ人生なのです。
が、自分の人生だけならそれで良いかも知れません。
しかし、教育者という立場で未来の子ども達を育む場です。
大げさに言えば未来の日本を託す子ども達を育んでいる人達が、
そういう姿勢で教育というものを出来るのか疑問です。
「沈黙」も「知らなかった」も、自分は何もしていないつもりかも知れませんが、
実は「なにもしない」という選択の結果「加担して共犯者になっている」ことが、
自覚されていないのだと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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