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人は希望があれば未来を生きることが出来るのです。
希望が無ければ絶望に陥り、今を生きることが出来ません。
今、日本の若者に限らず、日本人は自己肯定感が低く
未来に希望を持っていません。
政治家の言動にしろ、イジメに対する学校の対処のしかたや保育園での虐待、
子ども達が大人を見て「夢を持て」という方がおかしいのです。
子どもは大人の背中を見て育ちます。
小さい時から怖い先生、隠蔽する先生、嘘で固める政治家たちを見て、
どのような夢を持てば良いのでしょうか。
子育ての目標は、その子の自立です。
親に頼らなくても生きて行けるように援助するのが、子育てだと思います。
子どもの芽を摘むのは決して子育てではありません。
自分の人生を生きるという事は自分に責任が伴い、希望通りの人生にならなくても、
親や他人の責任にすることはできないのです。
それを選んだのは自分であるから、自分で責任を取るしかないのです。
しかし多くの人は、親や先生や職場の上司や世間の常識に従って、疑う事すらできません。
自立というのは、自分で決めなければならないのです。
逆に言えば、だからこそ自分で決められるのです。
その代わり責任も自分にかかってきます。
人は「自分に価値があると思える時にだけ勇気を持てる」ようです。
何かに取り組み、対人関係を作っていく勇気です。
自分には能力がないとか、人から好かれるはずがないとか言う人は、
「自分には価値が無いと思う事で自分が直面する課題から逃げようとしている」と、
アドラーは言っています。
幼い頃から親から叱られたり、褒められてたりして育ってきた子どもは、
自分の価値を自分では知ることが出来ません。
叱られる事で注目される事を学んだ人は問題行動をするようです。
反対に私のように褒められて育つと、褒められるのも注目される事なので、
自分で判断して正しいことをするのではなく「褒められるかどうか」の判断基準でしか
考えなくなるようです。
自分で自分に価値があると思えることが、自立しているという事のようです。
そして、その自分は世界の一部であるという事を知っていることが
自立しているという事の意味のようです。
つまり、他者との繋がりの中に生きているけれども、自分が中心にいる事ではない。
という事を知っていることが、自立している事にもなるのです。
「今ここに生きる」は、成功を目指す事であって他者と競う事ではないのです。
そして、成功しなければ自分に価値がなくなる事でもないのです。
過去に縛られることなく、過去に戻れることでもなく、未来に目を向けるだけなのです。
そして、その未来さえも保証はありません。
誰しも明日はどうなるかわからないのですから。
明日、大地震が来れば明日の命の保証さえありません。
よって、今日という本番を生きるしかないのです。
今日という日しか、生きられないのです。
今日という日を悔いなく丁寧に生きることが、人生だと思います。
不安に満ちた今日を生きるのか、希望に満ちた今日を生きるのか。
その積み重ねが自分の人生であるならば、
「今ここに生きる」自分を生きたいと思います。
じゃ、また明日!