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相手との関係に於いて、相手をもっと知りたいと思う時は、
相手に共感する時だと思います。
相手に共感出来れば、相手の事がより理解できるのではないかと思います。
しかし時には、この人とは共感出来ていると思っていても、それは自分だけで、
相手はそう思っていない時もあります。
共感というのは、相手の気持ちに寄り添う事だと思いますが、
それが時として間違ったスタンスになる時があります。
私などもそうですが、相手の気持ちに寄り添うというスタンスではなく、
相手の気持ちに踏み込んで変にコメントしすぎてしまう時があるようです。
これは自分自身の勘違いという事で、反省すべき点だと思います。
相手が主役なのに、自分の意見を話し過ぎる。
これではうんざりされてしまうのも当たり前だと思います。
先ずは、変に反応などせず相手の話をじっくり聞くことが大切だと思います。
会話はキャッチボールです。
相手から貰ったボールをきっちり受け止めて投げ返す。
相手が投げてこないのに自分から投げてばかりでは、キャッチボールは成り立ちません。
むやみに来たからすぐに何でも投げ返せばよいというものでもないと思います。
相手が投げ返して来ないからと言ってこちらからどんどん投げるのではなく、
相手が投げ返してくるまでじっくり待つことも必要で、
それが相手との共感に繋がっていくのではないかと思います。
共感を感じるのは、ただ相手が言った言葉に共感するのではなく、
相手の感じる心に共感することだと思います。
同じものを見ても、人それぞれ感じ方が違います。
十人十色の感じ方を言葉だけでは理解しにくいと思います。
その言葉の裏には、その人のどんな想いがあるかわからないからです。
同じものを見て、ある人は表面的なきらびやかな美しさを綺麗だと言います。
別の人はその作品の醸し出す目に見えない雰囲気や、作家の想いを綺麗だと言います。
言葉では「綺麗」で共感しているように思っても、感じているものが違うのです。
同じ言葉でも、相手が体感の中から体得していったものが、
自分の中でその感覚を置き換えることが出来れば、それは共感になると思います。
それは言葉ではなく、感覚の共感です。
例えば震災等にあった人は今トルコの人達の状況に共感することが出来ると思います。
私も神戸の大震災に遭わなければ、言葉でしか共感出来ていなかったと思います。
よって「共感」は言葉ではなく、経験や体験の感覚に対する共感なのです。
それぞれの人が育った環境や境遇が違っても、
意識の中でそれぞれが何を積み上げてきたのか。
その積み上げたものに共感できるかどうかだと思います。
共に感じたものが自分の中で置き換えることが出来るかどうかだと思います。
関係性が深くなるのは言葉だけではなく、
自分の中で積み上げたものに響き合えることが出来るかどうかだと思います。
まだまだ修行が足りない自分を反省です。
じゃ、また明日!