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「インクルーシブ教育システム」とは、人間の多様性の尊重等の強化や、
障害者が精神的及び身体的な能力などを可能な最大限度まで発達させ、
自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、
障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、
障害のある者が「教育制度一般」から排除されないこと、
自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、
個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。
簡単にいうと「障害の有無に拘わらず、合理的な配慮のもとで共に教育を受ける」
という事です。
(ボーイスカウト日本連盟機関紙「SCOUTING」2020年5月号より)
神戸新聞記事によると「盲学校生の造形に再び光」というのが掲載されていました。
数十年前に目の見えない子どもたちが作り、神戸親和女子大が所蔵する粘土の
造形約2000点が、かつては人権教育の観点から脚光を浴びたが、今回は
「インクルーシブ教育」への関心の高まりを受け、このほど専門家がプロジェクトを
設立したとか。
数々の粘土像は1950年~80年、神戸市立盲学校で図画工作、美術をを指導した
福来(ふくらい)四郎氏の教え子たちの作品です。
福来氏は当初「視覚障害者に造形は不可能」と考えていたが、子ども達が創り出す
造形を見て、触覚から生まれる表現の豊かさに気付き、指導に熱中したとか。
昨年、日本美術教育学会兵庫支部を中心とした有志らが、
「福来四郎アートコミュニケーションプロジェクト」を立ち上げ、
小中学校での授業、美術館や医療、福祉機関との連携、活用を模索する。
私は40年以上前、この作品展をリアルで見ました。
当時は盲学校生の造形作品という事で、力のある訴えを感じたのを覚えています。
その時は造形作品を見るだけという事で作品展示のみ。触ることなどできませんでした。
時を経た今「インクルーシブ教育」という事で、学校の授業では、
多くは子ども達が目隠しをし、作品を触ることから始めています。
まず、視覚のない世界でのものの捉え方、感じ方に触れてもらうという狙いです。
今触るとあの時の感じたものと、また違ったものを感じる事が出来ると思います。
かつて盲学校生の造形を作品展示という形で見るという事は
私自身「目が見えないのに、こんなに力強い作品を作れるのだ」と、
こちらの世界からあちらの世界を見て感動するという事しか出来ませんでした。
しかし、今は目隠しで同じ条件にした上で、作品を触って感じるという鑑賞です。
よって指先からの鑑賞です。
作者の想いが皮膚を通して直接伝わってくるのです。
目から入る映像ではないのです。
触って感じるという事は、目が見える見えないという事は全く問題外になってきます。
まさしく「考えるな! 感じろ!」の世界です。
新聞には作品の写真も掲載されていました。
奇しくも私が見た作品の中で感動した3点が掲載されていました。
40年経った今でも、作品写真を見た瞬間「これだ!」と思い出しました。
触ることが出来たなら、もっと違ったものを感じてたかも知れません。
いずれにせよ、包容する教育制度=インクルーシブ教育システム が色々な場面で
出てくることを楽しみに待っています。
「目が欲しい」
「手にのこる母のおもいで」
「肋骨のある犬」
じゃ、また明日!