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2月3日神戸新聞の記事より(抜粋)
自宅付近で息子とキャッチボールをしていた、会社役員の男(48)は、
近くの路上で急病男児の搬送作業をしていた消防隊員の1人が、
救急車を発車するため少し離れるよう声をかけた直後、
「うちの息子に何言ったんや」
「いつまで止めてるんや。赤いライト付けたままやったら近所迷惑になるやろ」
などと激高。
隊員が出発しようとすると、救急車の窓ガラスを叩いたり助手席側の窓から
手を差し入れるなどして職務を妨害した。
救急車は急病の男児を乗せており、妨害を受けて別の救急車で搬送。
約20分遅れたが、命に別状はなかった。 以上。
会社役員の男(48)は「病人が乗っていることは後から知った」と話しているようですが、
一般的に考えて救急車は病人を運ぶ車だという事は、小学生でもわかると思います。
それに救急車を発車するために、少し離れるよう声をかけるぐらいの近さで
キャッチボールを続けている会社役員の男(48)は、自分達が邪魔になると判断する
ことが出来なかったのでしょうか。
もしも、会社役員の男(48)の息子さんが急病で自分が救急車を呼んだとき、
近所の親子が救急車のすぐ近くでキャッチボールをしていて搬送の車が出されなかったら
どう対処していたのでしょう。
また、救急隊員に「ご近所の迷惑になるから、赤いライトは消して下さい」と
お願いするのでしょうか。
公務執行妨害で逮捕された会社役員の男(48)の息子さんが可哀そうな気がします。
最近、大人と言われる年代、役職者の年代の人の価値観を疑うことが増えてきました。
いじめに対する学校の隠ぺい、スシロー迷惑行為の工業高校の隠ぺいなど、
何処の校長もなぜ笑って返事しているのか。
何処の校長も「お応えできません」「電話を切らせて頂きます」
で終わらすことが出来るのでしょうか。
それらの学校の授業で生徒が「お答えできないです」「話を切らせて頂きます」
と言った場合、先生は「ごもっともです」で終わらせているのでしょうか。
それが教育というものなのでしょうか。
「外部の人にはお話できません」と言い切るなら、
なぜ学内でいつまでも解決できないのでしょうか。
教育は教えて育むという意味があると思うのですが、どうして生徒と向き合わないのでしょう。
旭川の件もそうですが、共通しているのは校長は3月で退職なので、それまでは問題にしたくない
というのが共通している本音のような気がします。
「事なかれ主義」は何世紀も前の話だと思います。
問題が発覚すれば退職金にかかわってきたり、その後の身の振り方に差しさわりが
あるからなのでしょうか。
こういう姿勢が学生・生徒の命を奪うことに繋がっているという事に気付いていない
人間が、教育者として存在しているのが現在の日本の教育現場であるという事です。
そしてそれは、日本人が自国に誇りを持っことが出来ない原因の1つでもあると思います。
「暴〇/不登校/集団い〇め/二人の子どもに立ち向かう壁
「加害者の本音を公開します」
日本の教育現場を変えないと、日本の未来は増々暗くなると思います。
じゃ、また明日!