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私たちは自分が生きた証というものを、何年何カ月という単位で表すと思います。
そうであるならば、より長い時間生きた人が幸せだという事になります。
しかし、世の中には時として「早くお迎えが来てほしい」と、
毎日仏壇に手を合わせている方もおられます。
人が幸せに生きるとはどういうことなのでしょう。
ある人は「心震える瞬間がどれくらいあったかで決まる」と言われています。
確かに、何かに感動できるという事は幸せな事だと思います。
昔は貧乏でも夫婦仲良くつつましく生活出来れば、それで幸せでした。
今は夫婦共働きでお金はあるけれど、離婚が増えています。
昔はお金を使えなかったけれど、得る者は沢山ありました。
今はお金は使っているけれど、得る者は少なくなりました。
昔は本を読むしかなかったけれど、
今は、SNSばかりに時間を取られます。
昔は待つ事も学んだし、待っていたけれど、
今は急ぐことを学んでも、待つことはあまりしません。
昔は60歳で老女と新聞には書かれていましたが、
今は90歳でもインストラクターをしている方がいます。
時代により幸せを感じる場面は違うと思います。
しかし、時間だけを追って生きるのと、
目に見えない感動を感じて生きるのとでは、人生の質が違ってくるように思います。
それぞれの人生の持ち時間が無くなる時、
「悔いの無い人生だった!」と言えるよう、心震える瞬間を1つでも多く持ちたいものです。
そして傷付いたり疲れた心を癒してくれる人が一人でも傍にいてくれたら、
救われるのではないかと思います。
目に見えるものだけでなく、見えないものを共有する幸せ。
それも幸せを感じることのできる1つだと思います。
「人生は呼吸の回数ではなく、どれだけ心震える瞬間があったかで決まる」
というのは、言い得ていると思います。
じゃ、また明日!