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今朝の新聞に、
「常識とは」改めて考えなければ
と、81歳の方が投稿しておられました。
昨年はあまりにも信じられない事件が多く勃発しました。
ウクライナへの侵略、安倍元首相の狙撃事件、旧統一教会による家庭崩壊や政治関与、
保育園などでの怠慢と虐待、親子・夫婦間での殺人事件。
社会悪によるものだと簡単に言いますが「常識的とは」と再度考える必要が
あるのではないかと思っています。
昨年の事件の多くは常識の欠如によるのではないでしょうか。
選挙で選ばれた議員からの謝罪や発言取り消しが多くありますが、
本人は謝ると同時に直ちに辞職すべきですし、改めて選挙するのが常識ではありませんか。
と言った内容でした。
私もこれには賛成で、小学6年生の修学旅行のバス休憩で高速道路のパーキングエリアで
男児1人を乗せ忘れて出発し、トラック運転手が男児を見かけて保護し学校に連絡したとか。
結局、約35キロ離れたインターチェンジ付近のコンビニまで送り届け、男性の知人の
別のトラック運転手が待機していたバスと合流しました。
これも常識から離れすぎています。
旅行などバスの乗り降りにはうるさいほど人数確認がありました。
保育園の送迎バスで園児を積み残したままで命を奪われた件もそうですが、当たり前の
人数確認がなぜ出来ないのか不思議です。
交通事故にしろ殺人にしろ政治にしろ、やった本人は「記憶にない」で終わっています。
「記憶がない」人になぜ免許証を渡すのか。
「記憶がない」人になぜ議員を続けさせるのか。
これが日本の常識というものなら、いつからそんな常識になったのか教えて欲しいです。
Oxford Languages「常識の定義」
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。
Wikipedia「常識」
社会的に当たり前と思われる行為、その他物事のこと。
いったん物事が常識として受け入れられれば、その物事は異議を差し挟まれにくくなる。
そのため、常識の内実はしばしば大きな政治的価値を持つ。
常識はメディアを通じて変じることがある。
常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。
社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識と
なることも珍しくない。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」と言ったのは、
相対性理論で有名な物理学者アルベルト・アインシュタインが残した言葉です。
アインシュタインによれば「そもそも常識とは18歳までに身に付けた偏見の集まり。
その偏見とは、生きている時代と場所によって大きく違ってくるので、
絶対的なものとは言えない」という事です。
2023年、日本の常識もそろそろ見直しませんか?
じゃ、また明日!