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心がざわついている時、それは何かに囚われている時だと思います。
自分の中にある何かの叶わない欲望が、心をざわつかせているのかも知れません。
自分の欲するものを知り、その欲と上手く付き合う事で、心のざわつきがおさまり、
自分を進めていけるのだと思います。
「欲があると、その欲が自分の苦しみの源となるから、無欲になりなさい」と
言われます。
「自分の欲」を手に入れたいがために、苦しむ。
手に入らないから苦しむ。
手に入れたら手に入れたで、それが手から離れないようにするために、
またそれが苦しみになる。
その苦しみは不安という形で自分に襲ってきます。
その不安を解消するために「無欲になれ」と、言われているのかも知れません。
不安は自分が正しく現実を見ていないから襲ってくる可能性があります。
物事を自分勝手に解釈し、或いは自分の想いをくっつけてそれが正しいと判断します。
また、間違ったことやありもしないことを想像し、自分で不安を作ってしまいます。
「不安は妄想である」というのを、私自身最近体験し、やはり自分の妄想であったと
腑に落ちました。
人は自分の妄想によって、悩み苦しんでいるのです。
「生きる」「生きたい」というのは生存欲です。
自分の行動が「自分の意志」なのか「自分の欲」なのか。
それが自分の中で混沌としているから不安につながるのだと思います。
だから「自分の欲」を手放して、それでも少しは欲が残るかも知れませんが、
揺れ動く中から自分というものを知っていく必要があるのだと思います。
自分が楽に生きるという事は、自分の本音で生きるという事だと思います。
自分が本音で生きるためにも、欲を捨て、或いは捨てた中でも揺れ動き、
不安を解消する必要があると思います。
そして無欲になった時、不安が無くなり逆に「安心感」が自分の中に
宿るのだと思います。
「欲の不安感」と「無欲の安心感」この両者のバランスが、
自分を本音で生きるという事に繋がるのだと思います。
じゃ、また明日!