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「主観を捨てる」と言うのは、難しいことです。

なぜなら、今まで生きて来た自分の価値観を捨てることになるからです。
目の前にある事実を「事実」としてしっかり「観察」するには、自分の中にある「固定観念」を一度ゼロクリアにしなければなりません。
しかし、人生が自分の「選択」の結果により構成されるなら、その情報を客観的かつ正しく観察する必要があります。
そこで「自分を知る」ということが必要になって来ます。
つまり、自分で思い込んでいた「知っている自分を手放す」ことです。
今までは「自分を知る為」には「自分の内面に目を向け、自分と向き合う」というスタイルがほとんどでした。
しかし、本日読んだ「ペンタゴン式 目標達成の技術」では「認知」というものを「三重構造」で捉えていました。
「自己」・・・・・自己認知の事で、自分の内面や資質を知ること。
「状況把握」・・・自己と関わる周囲の状況を正しく認識すること。
「外的要因」・・・自分を取り巻く社会環境に対して敏感になり、積極的に知る努力をすること。
この3要素をもって「知るべき自分」と定義しています。
この三重構造の認知の仕方になると「状況把握」の段階で、自分にとって聞きたくない指摘も受ける可能性があります。
しかし、その指摘こそが自分では気が付かなかった「自分自身」なのかも知れません。
よって、感情的な葛藤を呼び起こすものであったとしても、それを個人的な攻撃として受け取らないで、自分を正しく「認知する」為のチャンスとして受け止める必要があります。
そしてもう1つ自分の認識を書き換えたものは「日記」と「日誌」の違いです。
今まではよく「日記を書きなさい」と色々な方からアドバイスを頂きました。
しかし「日記」は、その日あった出来事に対する、自分の感情や主観的なものを書き記していました。
一方の「日誌」は、あくまで自分の行動を書き出して、自分を分析する為の客観的な資料です。
「己を疑う」のに必要なものは「日誌」です。
この違いすらわかっていないのに「わかったつもりの自分」を疑うのが、第一歩のようでした。
じゃ。また!


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jibunoikiru@gmail.com

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