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何か活き活きしている人を見ていると嫉妬心が湧いてくることがあります。
「なんであの人ばかり声を掛けられるの」
「なんであの人はいつも褒められるの」
「なんで私はいつも裏の仕事ばかりやらされるの」
「なんで私は認めて貰えないの」
私たちはちょっとした場面のふとしたことでも、嫉妬心を抱いてしまうことがあります。
嫉妬心は自分が我慢して蓋をしていることだと言われます。
直接的にその人に、或いはその出来事に嫉妬する場合と、
自分の本音を言えずにいつも何かに我慢している場合があります。
本当は一緒に行きたいのに、自分は行かないと言ってみたり、
本当は参加したいのに、自分は参加しないと言ってみたり。
そこには自分でも気付かない本音が隠れている場合があります。
そして、その本音を認めたくないから嫉妬という形で現れ、いつも人を羨んでいるのです。
その羨んでいる中には、自分の願望があり、自分の可能性もあるのです。
自分の可能性もあるから嫉妬し「なんであの人ばかり」という気持ちになってしまうのです。
いつもいつも本音を出さずに我慢しているから、
自分で自分の本音がわからなくなってしまうのです。
裏を返せば、嫉妬は自分の本音を知るチャンスでもあるのです。
自分もああいう風にしたかったんだ。自分もああいう風にして欲しかったんだ。
と、自分の我慢を認めると、少しは落ち着いてくると思います。
自分は何を望んでいたのかと自問自答し、自分の本音に気付くことは非常に大切な事で、
自分が楽になる事でもあるのです。
そして自分が我慢していた事、自分を抑圧していた事に気が付くと、
その気付いた自分の抑圧を少しづつ行動に移していくと、その嫉妬は薄らいできます。
嫉妬は自分の本音に蓋をしていたから、表に出すことが出来なかった感情です。
自分もやれるのに、やってみたいのにすることが出来なかった。
だったらそれを少しづつやっていけばいいし、
やるという事は自分の中にその可能性があるという事で、
自分の可能性を伸ばしてやれば良いのではないかと思います。
嫉妬と言えばあまり良くない悪いイメージでしたが、
その裏に隠れている自分の可能性を見出すことが出来たなら、
自分の可能性を伸ばすチャンスに成り得るのだと、改めて思いました。
嫉妬の正体は、自分が蓋をしてしまっていた自分の我慢だと気付けば、
チャンスというのは、あちこちに転がっているような気がします。
じゃ、また明日!