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「あなたの使命はどんな事ですか?」と、聞かれた時、「私の使命はこれです」と、
直ぐには応えられません。
なぜなら、私は今の今迄「使命」というのは見つけるものだと思っていました。
「見つける」というのは、生まれる時から自分の使命は決まっていて、
それを自分が見つけるものだと思っていました。
その「使命」というのは、天か宇宙が決めていて、それを自分が見つけるという、
そういう風に思っていました。
だからまだわからない時は「使命が見つからない」という言葉になっていたと思います。
しかし今、使命は見つけるものではなく「自分で決めるもの」だと分かってきました。
これと似たような言葉に「生きる理由と生きる価値」というのがあります。
「あなたの生きる理由は何ですか?」これもすぐには応えられません。
しかし、生きる理由を聞かれたならば、自分が生きている理由だから、
自分で考えようとします。
しかし、よく考えると、生きる理由=生きる使命 なのかなとも思います。
なぜ生きているのかは、何かをする為に生きているということだと思います。
ただ食べて寝るだけでは動物と同じです。
人間にはそれプラス、何か生きる目的があると思います。
となると、生きる理由=生きる使命 であっても可笑しくはないのです。
何かをする時には理由があります。
お腹がすいたからご飯を食べる。寒くなって来たから長袖を着る。
これと同じように「〇〇をしたいから生きている」と、
生きる理由を考えると思います。
「理由」は考えようとしていたのに、「使命」は探そうとしていたのです。
だから見つからなかったのだと思います。
「使命」も自分が生きる理由です。
よって自分以外のものから授かるものではなく、自分の中から湧き出てくるもの、
自分が決めていくものだと思います。
自分がこうしたい、こうして生きて行きたいと思うもの、それが使命なのです。
先日のblogでも触れましたが、使命も内発的動機だったのです。
それを外発的動機だと思って自分の外側を探していても、見つからないのは当たり前です。
探すなら自分の内側だったのです。
しかも就職活動のように、入れそうな会社、出来そうな仕事では決してなく、
自分がやりたい事です。
自分がどうしてもやりたい事。
これを考えて、その理由が自分の中で見つかった時、
そこに価値が生まれて、それが社会の貢献に繋がっていくのだと思います。
「使命」は探しても見つからないのです。
自分で考えて考えるから、自分の中で答えが見つかるのです。
チルチルとミチルの「青い鳥」のように、幸せや答えは自分の中にあるものです。
そしてそれは自分で決められるものなのです。
「使命は自分が決めるもの」
意識を新たに、自分で決めて行こうと思います。
じゃ、また明日!