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「来る者拒まず 去る者追わず」の語源は、
孟子が「自分を信じられずに去っていく者を引き留めることはしないが、
自分を信じて頼って来る者はどんな人物でもうけいれよう」と説いたことから、
このフレーズが生まれたと言われています。
私もこの考えのタイプなので、このフレーズは自分の中ではよく出てきます。
人間関係に於いて、困っている時や何かして欲しい時は誰でもすぐに来ますが、
それが解決したら何事もなかったかのようにサッと去って行く人もいます。
よって、それが自分の中では当たり前になっているので、
最初からあまり相手に期待していないのかも知れません。
よく「裏切られた」とか言って悔しい想いをされている人がいますが、
そういう人は相手に何らかの期待をしていたと思います。
よって自分の期待通りになってくれないので、裏切られたと余計に思うのかも知れません。
私は諦めが早いのか、最初からそんなものだと思っているので、
反対に何回も来てくれる人には、もっと力になれたらと思います。
例えば自分は1本の大木だと思えば、暑さをしのぐ為に葉の影で休憩するもよし、
寄りかかって寝るのもよし。それで回復出来たら去っていけば良いのです。
去っていったからと言って、追いかける必要はないのです。
もっと言えば追いかける意味が無いのです。
追いかけるという事は、自分から相手に寄っていくことになります。
自分は根を張った大木です。
自分の足元で休んだからと言って、追いかける必要はなにもないのです。
また休みたくなれば来たら良い。というだけのことです。
人に裏切られても、人を裏切らないのも同じです。
裏切った人はそういう人だったんだとわかるだけで、
その人を信じた自分がバカだっただけです。
かと言って、自分の生き方として、人を裏切ることができないだけの話です。
なぜなら、人を裏切っても何の意味もないからです。
むしろ自分の生きざまが下がるだけです。
怒りはあっていいと思います。
何故そういう行為をするのかと。
しかし、自分が一度は信頼した人が裏切らないとは限らないのです。
何の保証も裏付けもありません。
人は良いにしろ悪いにしろ変わるものです。
縁が切れる時は切れるものです。
それを追いかけても、或いは自分が同じ事をしても意味のない事なのです。
自分を裏切ったり、自分から去って行く人とは、生き方が違うだけなのです。
価値観、人間関係の在り方、色々な面違うのです。
よってそれに合わす必要などないのです。
100人いれば100人に好かれたいとも思わないし、100人に好かれる自分がいたら、
反って気持ちが悪いです。
人間関係は人数ではないので、去られても、裏切られても構わないのです。
生き方の違う人と一緒にいても、疲れるだけです。
それだったら、人数が少なくても質の良い人間関係を築ける人といる方が、
本当の幸せを感じることができると思います。
人に嫌がる事をされても、自分は人の嫌がることができない人間なだけです。
よって、「来る者拒まず 去る者追わず」が楽な生き方なのです。
「人に裏切られても 自分は人を裏切らない」が、
自分にとっての自然な生き方なのです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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