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何気ない会話の中でも時として怒りを感じる時があります。
怒りは誰に対して、何に対して起こるのでしょうか。
最近、人に対して怒りをぶつける人が多くなったような気がします。
コロナで思うようにいかなかったり、不安になったりした人が多くなったせいも
あるかも知れません。
しかし、怒りを他人にぶつける人はコロナ以前にもいたように思います。
ある人の説では、自分の中にある「恐怖」や「不安」を「怒り」という形に変えて
相手にぶつける場合、それは自分の中にある「不安」や「恐怖」を感じないようにする
ためだとか。
「不安」や「恐怖」を誰かに「怒り」としてぶつける事で、
自分の問題をすり替えているのです。
確かにコロナによってそれ以前からの怒りを爆発させている人は増えているように思います。
ネットの中でも誹謗中傷が激しくなっているし、裁判に訴える人も増えつつあるのに、
なかなか止まないのが現実です。
自分の中の「不安」や「恐怖」が大きくなりすぎて、自分の中では処理しきれなく
なってきているので、「怒り」という形に変えて、他人に向けているのです。
自分がこうなったのも「あいつのせいだ」「あいつさえ、いなければ」と、
自分の外に出すことによって自分の気持ちのバランスを取ろうとしているのです。
それは「自分は正しい」「相手が間違っている」というポジションを取ることによって、
自分が落ち着けるし、気持ちが良いからです。
それらは自分のためにやっていることなので、自分の心の奥底の「不安」や「恐怖」を、
「怒り」に変えているだけなのです。
そして相手を徹底的にやっつけるのは、自分のためにやっているのであり、
自分が触れられたくない自分の「恐怖」や「不安」という感情を
すり替えているだけなのです。
自分を誤魔化して人に「怒り」をぶつけている限りは、
その人の中では問題が解決しません。
そうではなく、自分の中で何が起こっているのかを感じ、
それを取り除くだけで、自分が楽になり、落ち着いてくると思います。
人を攻撃すれば攻撃するほど、より自分の中の「不安」や「恐怖」は大きくなります。
そして自分の外に自分の感情を向けるという事は、
自分というものを、他人に預けているという事になります。
つまり、自分を他人任せに生きているという事になります。
自分自身に目を向けて、自分の「怒り」を自分で受け止めない限り、
いつまで経っても、自分の「怒り」を他人にすり替えるという事が続くと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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