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人は独りで生まれて独りで死にます。
これは全ての人に共通な決まり事です。
生まれる瞬間までは赤ちゃんが自分で産道を通って出てきます。
産まれた瞬間は、看護師さんや家族が待っていて1人じゃないかも知れません。
しかし、この世に出てくる瞬間までは独りです。
出て来てからは、沢山の人と接し、沢山の人から良いも悪いも影響を受けて、
大きくなります。
そして人生のピークを結婚と考えている人もいれば、
長年勤めた会社の退職と考える人もいます。
その自分の決めた人生のピークの次には、何が待っているのでしょうか?
昔は人生70年くらいだったので、60歳で円満退職し、
残り10年は第二の人生として悠々自適の最期を迎えるはずだったと思います。
しかし、今は人生100年時代。
もう一度赤ちゃんから30歳までの人生を過ごすことになります。
死に行くための30年を有意義に悔いなく過ごしたいものです。
理想の死とは、皆に囲まれて最期を看取られる事でしょうか?
最近は「孤独死」が増えています。
核家族になり、一生独身の人もいれば離婚で1人の人もいます。
「人は生きてきたように死ぬ」と言われますが、その通りだと思います。
私も母親を看取る時、入院が長かったので11人の同室の方を見送りました。
家族がいるから幸せで、独りだから幸せではないとは限らないという事です。
要は、入院するまでの人生をその方がどのような生き方をされていたのかという事です。
勿論親身になって看病されているご家族もいれば、義務で来られているご家族もいます。
患者の心理を理解せずに病人相手に怒鳴っている娘さんもいます。
そうかと思えば自分が納得するまで呼吸器を外さないで欲しいと懇願する娘さんもいました。
逆に、ご本人は誰と最後の挨拶がしたかったのでしょう。
それを思うと、皆に囲まれて看取られることが最高の死に方だとは限らないと思います。
色々思いめぐらし、最後の一息をつき終わった時にスーッと亡くなる方の方が、
幸せな場合もあります。
よって、独りでも家族に囲まれても、その人が満足のいく死に方であれば、
それが一番かと思います。
所詮人は独りで生まれて独りで死にます。
独りだから寂しいとは限らないのです。
それよりも「死」と向き合うことが、
今を生きている「生」と向き合うことになるのです。
私も人生の半ばを過ぎた頃から「どう生きるか」よりも「どう死ぬか」の方が
重要になってきました。
歳を重ねれば重ねるほど、自由な自分になりつつあるように感じます。
地球における最後のゴールまでどのように過ごすか、
悔いの無い、自分が納得のいく死に方をしたいものです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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