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私たちは時間の流れがどんどん早くなって行っていると感じています。
昔は社会全体がもう少し、ゆっくりと進んでいてような気がします。
テレビが全世帯に普及しだした頃、15分ごとにあるコマーシャルの時間になると、
どの家庭でも一斉にお手洗いに行くという話がありました。
また小学生の子どもが15分しか集中できないという話も出て来ていました。
今の時代、SNSが発達してYoutubeのコマーシャルさえイライラしてしまいます。
だからお金を出してコマーシャルを省くという事まで必要になってくるのです。
子育てにしても、昔はその子の発達度合いに応じて親はじっくり見守っていました。
まさしくそれは「期待しないで待つ」親の姿勢でした。
失敗しても立ち上がるという事を覚える期間でもあるからです。
しかし、今の子育ては、その失敗する経験を奪ってしまっているような気がします。
今は、赤ちゃんから幼児まで、至れり尽くせりの子育て本が色々あるので、
親としてはその本の成長スピードと照らし合わせようとします。
そして、ウチの子はまだ出来ていないと悲嘆にくれたり、
本に書かれてあることができる子の親は、ウチの子は優れていると錯覚してしまうのです。
本に書かれてあることを「期待して待つ」という事は、本当は「待てない」ということと
同じなのです。
期待して待つから、本に書かれてあることに囚われて、
その通りにならなければ落ち込んでしまう。
そしてこの子は発達が遅いと思ってしまうのです。
それは「子育て本」の視野狭窄に陥ってしまっているからです。
子育ての基本が「本」であり、本に書かれてあることに意識が覆われてしまいます。
我が子の成長スピードを、その子の成長スピードとして受け止め、
じっくり待ってあげることが出来なくなっているのです。
「期待しないで待つ」という事は「待つ事を断念して尚且つ待つ」態度の事のようです。
昔の農業は「待つ」事の連続でした。
畑を耕し種を植え、水やりをしながら実りの秋を待っていました。
自分が支配するのではなく、自然に支配を委ねているのです。
今は時計に支配されて、約束の時間に1分でも遅れればイライラが募る時代です。
メールの返事が来なければ、イライラしてしまうのです。
よって心静かな時を味わおうとすれば「期待しないで待つ」しかないのです。
子育てにしろ、人間関係にしろ、早く早くと前のめりになりそうですが、
相手のペースに合わせて、育むのが一番かと思います。
何事も「期待しないで待つ余裕」を持ちたいものです。
じゃ、また明日!